内藤陽介 Yosuke NAITO
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 水晶の夜
2015-11-09 Mon 22:45
 きょう(11月9日)は、1938年に“水晶の夜”と呼ばれる大規模な反ユダヤ暴動が発生した日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      水晶の夜・返戻

 これは、“水晶の夜”から間もない1938年12月6日、米国ミネアポリスからドイツ北部、ハンブルク=アルトナのユダヤ人女性宛に差し出されたものの、“移住”先不明で差出人戻しとなった郵便物です。

 1933年1月30日、反ユダヤ主義を掲げて政権を獲得したヒトラーとナチス(国家社会主義労働者党は、当初から、ユダヤ系ドイツ人を迫害しており、1935年9月15日には、いわゆる“ニュルンベルク法(具体的には「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」)を制定し、4人の祖父母のうち1人でもユダヤ人がいる者を“ユダヤ人”と規定。ユダヤ系の市民を、“完全ユダヤ人”から“第2級混血ドイツ人”までに3分類したうえで、“完全ユダヤ人(4人の祖父母のうち3人以上がユダヤ人、同2人以上がユダヤ人で、本人がユダヤ教徒、ユダヤ人と結婚している者、ドイツ人とユダヤ人の間に生まれた者)” の公民権を剥奪しました。

 ただし、この規定は、あくまでもドイツ国籍を持つユダヤ系住民を対象としたもので、ドイツ国内に居住する外国籍のユダヤ人に対しては、さすがのナチス・ドイツも、他の在住外国人としての権利が認めざるを得ません。こうした状況の下で、ドイツ在住のユダヤ系外国人のうち、大きな勢力となっていたのがポーランド国籍の保有者でした。

 現在のポーランド国家は、国民の90%以上がポーランド人(カシュープ人やグラル人を含む)によって構成されており、事実上の単一民族国家となっていますが、これは、第二次世界大戦末期のポツダム会談の結果、領土全体が地理的に西側へ移動したことによるもので、第一次大戦後にポーランド第2共和国が発足した時点の民族構成では、ウクライナ人14.3%、ユダヤ人10.5%、ベラルーシ人3.9%、ドイツ人3.9%などと、少数民族が人口の約3割を占める多民族国家でした。こうした中で、(狭義の)ポーランド人の間には反ユダヤ主義の風潮が根強く、1936-37年にはポーランド各地で流血を伴う反ユダヤ暴動が発生しています。

 このため、ポーランド政府は国内のユダヤ人口を減少させることが問題の解決になると考えるようになり、ユダヤ人の国外移住を“奨励”。その結果、隣国であるドイツ国内には、ポーランド国籍のユダヤ人が多数居住するという状況になっていましたが、ナチスによるユダヤ人迫害が激しさを増すにつれ、ユダヤ系ポーランド人の中にはポーランドに帰国する者も急増します。

 これに対して、上述のような事情から、ユダヤ系国民の帰還を望んでいなかったポーランド政府は、1938年10月6日、ポーランド政府は、発行済みの全てのポーランド旅券に、あらためて検査済みの認印を押さなければならないとする新旅券法を布告。同法の施行により、ドイツをはじめ国外在住のポーランド系ユダヤ人の旅券と国籍を無効化しようとします。

 一方、当時のナチス・ドイツは、みずからの支配地域からユダヤ人を追放することを政策として掲げていたため、ポーランドの新旅券法が施行される10月30日以前に彼らをポーランドに強制送還すべく、10月28日、警察組織を動員して、ユダヤ系ポーランド人1万7000人をポーランドとの国境地帯に移送します。ところが、ポーランド側は国境を閉鎖して、“ポーランド国民”であったはずのユダヤ人の受け入れを拒否します。

 こうして、国境地帯でユダヤ系ポーランド人が事実上の難民生活を余儀なくされる中、彼らの一人であったセンデル・グリュンシュパンが、パリ在住の息子、ヘルシェルに惨状を訴えました。ヘルシェルはドイツに対する怒りから、ドイツ大使館員を暗殺することで世界にユダヤ人の惨状を訴えることを企図し、11月7日、駐仏ドイツ大使館の三等書記官エルンスト・フォム・ラートを射殺します。

 この事件をきっかけに、11月9日から10日にかけて、ドイツ各地(併合後まもないオーストリアズデーテン地方を含む)で大規模な反ユダヤ暴動(官製暴動である疑いが極めて濃厚)が発生。フランスとの国境に近いドイツ西部を中心に、177のシナゴーグと7500のユダヤ人商店や企業が破壊され、91人のユダヤ人が殺害されました。

 ちなみに、“水晶の夜”という名称は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにきらめいていたとしてゲッベルスが命名したものですが、その由来となったガラス被害だけで、ユダヤ人の損害額は600万ライヒスマルクに及んでいます。

 一連の事件を通じて、被害者であるはずのユダヤ人3万人が警察に逮捕され、彼らを収容するためにダッハウ、ブーヘンヴァルト、ザクセンハウゼンの各収容所は拡張されたほか、各種の法令により、ユダヤ人の人権は次々に剥奪され、12月以降、ユダヤ人は公の場から事実上追放されてしまいました。この結果、多くのユダヤ人がドイツを脱出して国外へ亡命しようとしますが、実際には、彼らの多くは各地の港をたらいまわしにされたうえ、最終的にヨーロッパへと戻ってこざるを得ませんでした。そこへ、1939年9月、第二次大戦が勃発し、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺が本格的にスタートすることになるのです。

 なお、“水晶の夜”に関しては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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