内藤陽介 Yosuke NAITO
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 二の酉
2015-11-17 Tue 09:36
 きょう(17日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・オデッサ発オシフィエンチム経由

 これは、1880年4月、ロシア領オデッサからブラウンシュヴァイク宛に差し出された書留便で、双頭の鷲(ロシア帝国の紋章)を描く印面の切手つき封筒に、同じく双頭の鷲を描く7コペイカ切手が貼られています。双頭の鷲は、もともとは、東ローマ帝国で東洋と西洋の両方にローマ皇帝の支配を意味するものとして使われていました。東ローマ帝国の後継者を自負していたロマノフ朝は、東ローマ帝国にならい「西(ヨーロッパ)」と「東(アジア)」にまたがる統治権を象徴するため、この紋章を採用し、それが切手にも取り上げられたわけです。

 今回ご紹介のカバーの逓送ルートは、オデッサからオシフィエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)まで運ばれた後、オシフィエンチム=ブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ)間の鉄道便でドイツ国内に入り、宛先地のブラウンシュヴァイクまで運ばれるというルートをたどっています。ハプスブルク支配下のオシフィエンチムとプロイセン支配下のブレスラウ間を結ぶ国際鉄道路線は、当時の中欧における物流の重要なルートの一つとなっており、その旨を表示したドイツ側の鉄郵印も用いられていましたが、今回のカバーでは、“オシフィエンチム=ブレスラウ鉄道経由で外国から”との表示のある書留ラベルが貼られているのがミソです。

 さて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、そもそも、アウシュヴィッツ/オシフィエンチムとはどのような土地であったのか、ハプスブルク帝国以前にも遡ってその歴史をご説明しておりますが、特に、アウシュヴィッツ/オシフィエンチムが中央の物流ルートにおいて重要な位置にあったことを示すマテリアルに力点を置いてご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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