内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(35)
2015-11-30 Mon 09:44
 ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』589号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年代初頭のパキスタンについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・岩のドーム(1981)

 これは、1981年7月25日、パキスタンが発行した「パレスチナの自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために」の切手です。

 パキスタンは、「インド亜大陸のヒンドゥーとムスリムは互いに異なった民族である」とする“二民族論”を建国の理念として、1947年、英領インド帝国の解体に伴い、インドとは別のムスリム国家として独立しましたから、パレスチナ問題に関しては、当初から、親アラブ・反イスラエルの姿勢を鮮明にしていました。

 じっさい、1948年に第一次中東戦争が勃発すると、パキスタンはアラブ諸国に対する軍事援助を計画。その後も、紛争当事国への武器供与禁止という国際ルールにより西側諸国家ら武器を調達できなかったアラブ諸国のため、パキスタンはチェコスロヴァキアから25万挺のライフルを代理購入しているほか、イタリアから3機の戦闘機を購入してエジプトに提供しています。

 1967年の第3次中東戦争と1973年の第4次中東戦争に際しては、パキスタン人パイロットがヨルダンおよびシリア空軍に参加してイスラエル軍機を撃墜。1982年のイスラエルによるベイルート包囲の際にはパキスタン人義勇兵50人がPLO側に立って従軍し、イスラエル軍の捕虜になっています。また、1973年以降、パキスタン国内にはPLOの将校に対する軍事訓練の場が設けられたほか、1974年2月にラホールで開催されたイスラム諸国サミットではPLOがパレスチナ人を代表する唯一の合法的政府であることが初めて承認され、1975年には「シオニズムは人種主義と人種差別の一形態である」とする国連総会決議3379の採択のために尽力しています。(ただし、同決議は1991年の国連総会決議4686によって否定されましたが)

 1979年12月にソ連軍によるアフガニスタン侵攻が始まると、国際社会はこれを非難し、アフガニスタン国内でも反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されるようになります。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの都市、ペシャワールには、夥しい数のアフガニスタン難民が押し寄せましたが、同時に、ペシャワールは、イスラム諸国と米国によるムジャーヒディーン闘争支援のための一大拠点としても機能していました。

 ところで、ペシャワールに集まった義勇兵たちに大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。

 アッザームは、1941年、英委任統治下にあったパレスチナのジェニン(ヨルダン川西岸の都市)近郊で生まれました。

 1963年、シリアのダマスカス大学イスラム法学部を卒業後、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区に戻ったものの、1967年の第3次中東戦争でヨルダン川西岸がイスラエルに占領されるとヨルダンに脱出。その後、カイロのアズハル大学でイスラム法学の修士号を得て、アンマンのヨルダン大学で教職に就きましたが、1970年、ブラック・セプテンバー事件(パレスチナ人過激派によるハイジャック事件を契機としたヨルダン政府とPLO過激派の内戦)が起こると、ヨルダン政府は反イスラエルのパレスチナ人であるアッザームを追放しました。

 このため、アッザームはアズハル大学に戻ってイスラム法理論の博士号を取得。一時、ヨルダンに戻ったものの、ほどなくして保守的なムスリムの多いジェッダ(サウジアラビア)のキング・アブドゥル・アジーズ大学で教鞭をとるようになりました。ちなみに、同大学での教え子の一人がオサーマ・ビン・ラーディンです。

 1979年11月、メッカでハラーム・モスク襲撃事件が発生すると、サウジ政府はイスラム原理主義者の多くを国外追放処分としましたが、これにより、アッザームはイスラマバード(パキスタンの首都)の国際イスラム大学に移って「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴え、ペシャワールにムジャーヒディーンのための軍事訓練施設を設立しました。なお、1981年には、アッザームの呼びかけに応じて、大学を卒業したばかりのビン=ラーディンが合流しています。

 アッザームの主張は、1980年代初頭の時点では、ソ連や東側諸国の支援を受けていたPLOに与することなく、ムスリムの宗教的な義務としてパレスチナとアフガニスタンの双方を解放すべきと訴えた点で画期的なものでした。

 もちろん、パキスタン政府としては、“原理主義者”としてのアッザームらの主張を公式に支持・支援していたわけではありませんが、膨大な数のアフガニスタン難民とムジャーヒディーンがペシャワールに押し寄せているという現実に直面したパキスタンにとっては、イスラム諸国から広く支援を集めるためにも、アフガニスタンとパレスチナの問題は「奪われたムスリムの土地を奪回する」という点において同根であることを訴える必要があったことは明らかで、今回ご紹介の切手も、こうした部脈に沿って発行されたものとみることができます。ちなみにパキスタンの切手において、岩のドームそのものを中心的な題材としてストレートに取り上げたのは、これが最初の事例でした。

 もちろん、1947年の建国以来のパキスタンの対パレスチナ政策を考えるのなら、岩のドームの切手を発行することで、ムスリムとして聖地エルサレムの奪還を目指す姿勢をアピールするのはなんら不思議なことではないのですが、それまで“パレスチナ”を題材にした切手を発行してこなかったパキスタンが、1981年というタイミングで岩のドームの切手を発行した背景には、やはり、アフガニスタンとパレスチナを結びつけて考える思考回路があったと見るのが自然でしょう。

 なお、「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」とのアッザームの主張は、パレスチナとアフガニスタンを結びつけただけでなく、後に、ボスニアチェチェンでのイスラム抵抗運動や、さらにはサウジアラビアに駐留しつづける米軍へのテロなどの根幹をなすイデオロギーとなるのですが、1988年の映画『ランボー 怒りのアフガン』の例を持ち出すまでもなく、東西冷戦という時代状況の下で、そのことを見通した者はほとんどいませんでした。


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