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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ユギオ
2006-06-25 Sun 16:27
 今日は1950年に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の南侵によって朝鮮戦争が始まった日。韓国では、この日付にちなんで、朝鮮戦争(彼らの呼称は韓国戦争)そのものを“ユギオ”(6・25のハングル読み6=ユク+2=イ+5=オが縮まって“ユギオ”)と通称されています。以前、『北朝鮮事典』という本を作ったことのある僕としては、避けて通ることのできないネタですので、今日は朝鮮戦争の勃発を物語るカバー(封筒)として、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

朝鮮戦争返戻カバー

 1950年6月25日午前4時、朝鮮人民軍が南侵を開始したとき、韓国側には、これを迎え撃つだけの準備はほとんどありませんでした。

 韓国軍の組織は、同年4月と6月に高級幹部の人事異動が行われていたことに加え、6月中旬には部隊の改編も行われるなど、新たな態勢が落ち着いて機能するようになるまでには、しばらく時間が必要な状態でした。また、6月18日には、修理のため、韓国軍の各部隊の約3分の1にあたる武器や車両が仁川市内の富平武器補給処に集められており、38度線地域の韓国軍の装備は手薄になっていました。

 さらに、6月11日から発せられていた北朝鮮の南侵に対する非常警戒令は、北朝鮮側の侵攻がないことを理由に、6月24日(なんと、北朝鮮南侵の前日です!)午前0時に解除されていました。当日は、ほとんどの韓国軍部隊では、将兵たちに外出や休暇が許可されており、38度線沿いでも少数の部隊が警備を行っているだけでした。

 首都ソウルでも、6月24日の夜には、陸軍会館落成記念のパーティーが深夜まで行われ、韓国軍の高級幹部や米軍の顧問なども二日酔いで酔眼朦朧とした状態の中で北朝鮮南侵の第一報に接するというありさまでした。

 こうしたことから、当初、不意打ちを食らった韓国側の対応は混乱をきわめます。

 韓国陸軍本部が全軍に非常呼集を発令したのは、北朝鮮軍の南侵から約2時間後の午前6時30分のことでしたが、前夜の宴会のせいもあってなのか、幹部らの集合は遅れ(居所不明の者も少なくなかったといわれています)、陸軍作戦局長の張昌国が陸軍本部に登庁してきたのは9時30分を過ぎてからのことでした。

 このため、大統領・李承晩に北朝鮮南侵が正式に報告されたのは午前10時のことで、戦争に対処するための最初の国務会議が開かれたときには、すでに午後2時になっていました。

 一方、国民に対しては午前7時にはラジオで北朝鮮南侵の第一報が伝えられたものの、国防部の正式談話が発表されたときには午後1時になっていました。しかも、その内容は、北朝鮮軍が順調に南侵を続け、ソウルに迫りつつあったにもかかわらず、国民に不安を与えないようにとの配慮から、韓国軍が北朝鮮軍を「撃退して追撃中」というもので、結果として多くの国民の情勢判断を誤らせるものとなりました。

 結局、北朝鮮側は奇襲攻撃の利を活かして進撃を進め、開戦から3日後の6月28日、ついに首都・ソウルを陥落させてしまいます。

 今日ご紹介しているカバー(封筒)は、ソウル陥落前日の6月27日、大阪から混乱の最中にあったソウル宛に、差し出されたものです。当然のことながら、この時点では韓国内は郵便がどうこうという状況ではありませんので、このカバーも「朝鮮あて郵便物はすべて送達停止となりましたから返戻致します。なお料金は請求により還付されることになっております」との事情説明の付箋を付けられて差出人に返戻されました。

 ここのところ、北朝鮮がテポドン2を発射するのしないのといった状況が続いています。1998年に北朝鮮がいわゆるテポドン1を打ち上げた時、彼らは、テポドンを軍事目的のミサイルではなく、国産第一号人工衛星「光明星一号」を打ち上げるためのロケットであると主張しました。今回も北朝鮮の外務省幹部は「発射はそれぞれの国の自主権に関する問題で、だれにも誹謗する権利はない」と発言しており、実験が強行された場合も、前回同様、彼らは人工衛星云々と主張するのでしょう。

 もっとも、いわゆる軍事ミサイルと平和目的の宇宙ロケットのちがいは、非常に単純化していうと、“飛び道具”の推進体(狭義には、これを“ロケット”と呼びます)の先端に、爆弾類を搭載するか、人工衛星を搭載するかの差でしかありません。それゆえ、ミサイルの打ち上げに成功してしまえば、あとは先端に搭載するものによって軍事用にも非軍事用にもなるのであって、かの国のこれまでの行状を見ていると「人工衛星だから安心しろ」といわれても、健全な思考力の持ち主であれば、なかなか「ハイそうですか」とはいえないのじゃないかと思います。

 それだけに、ここ数年の韓国政府が、“太陽政策”と称して北朝鮮に対して非常に理解ある姿勢を示している反面、むしろ日米に対して批判的なスタンスを取り続けているのは非常に気がかりなところです。

 ヒステリックに「北朝鮮討つべし」と叫ぶのもどうかと思いますが、“ユギオ”の日にちなんで朝鮮戦争開戦時のエピソードをいろいろと読み返してみると、もう少しかの国に対する冷静な警戒心を持っていた方が良いのじゃないか、とふと考えてしまう内藤でした。
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