内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ポーランドの反ユダヤ主義
2016-02-16 Tue 21:30
 ポーランド政府は、きのう(15日)、同国内のオシフィエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)にあるナチス・ドイツの強制収容所跡について、ホロコーストの責任がポーランドにあるとの誤解を招く恐れがあるとして、メディアなどが“ポーランドの強制収容所”との表現を用いることを禁じ、違反した場合、最高で禁錮5年の刑を科す法案をまとめました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・ナルトヴィチ

 これは、1988年にポーランドが発行した第2共和国70周年の記念切手のうち、初代大統領ガブリエル・ナルトヴィチの肖像を取り上げた切手です。
 
 現在のポーランド国家は、国民の90%以上がポーランド人(カシュープ人やグラル人を含む)によって構成されており、事実上の単一民族国家となっていますが、これは、第二次世界大戦末期のポツダム会談の結果、領土全体が地理的に西側へ移動したことによるもので、第一次大戦後に第2共和国が発足した時点の民族構成では、ウクライナ人14・3%、ユダヤ人10・5%、ベラルーシ人3・9%、ドイツ人3・9%などと、少数民族が人口の約3割を占める多民族国家でした。

 1918年の第2共和国発足当初、ポーランドは、ロシア革命の混乱に乗じてかつてのポーランド・リトアニア共和国の版図を回復すべく、1919-21年、ソ連の前身であるボリシェヴィキ政権と戦い、東方に領土を獲得しましたが、その過程で、「ユダヤ人がボリシェヴィキ政権に協力的である」とか「ユダヤ商人が商品不足に乗じて投機を行い、巨利を得ている」などとの理由を掲げた反ユダヤ暴動が頻発し、多くのユダヤ人が犠牲になりました。各地の暴動そのものはいずれも短期間で収束しましたが、その後も、ポーランド人の間には反ユダヤ感情が根強く残ることになります。

 じっさい、1922年、第2共和国の初代大統領に中道左派のガブリエル・ナルトヴィチ(今回ご紹介の切手の人物です)が当選すると、国民民主党等の右派は「ナルトヴィチはユダヤ人の票で当選した」とのネガティヴィ・キャンペーンを展開。同年12月16日、ナルトヴィチは民族主義過激派によって暗殺されています。また、こうした経緯もあって、ナルトヴィチ暗殺後の1923年5月に大統領となった中道右派のヴィンツェンティ・ヴィトスは「政府の構成員はポーランド人に限られる」として、大学等へのユダヤ人学生の入学制限など、ユダヤ系の権利を制限しました。

 このように、発足後まもない第2共和国は、短命政権が続き、経済的な失策も重なり、社会的にも混乱が続いましたが、1926年5月12日、ポーランド独立の英雄で建国時に国家主席を務めたピウスツキが“5月革命”のクーデターを起こして政権を掌握したことで、ようやく安定。ピウスツキは首相と国防省を兼任し、権威主義的な政権運営を行いましたが、かつてのポーランド・リトアニア共和国をモデルに、第2共和国を諸民族が融和する多民族国家として育成しようと考えており、反ユダヤ主義を含む過剰な民族主義には一貫して否定的で、これらを抑え込みました。

 ところが、1935年3月12日、ピウスツキが亡くなると、野党の国民民主党は、隣国ドイツのヒトラー政権(1933年発足)が経済政策で一定の成果を上げていたことに刺激を受け、「ユダヤ人から買うな」のスローガンを掲げて反ユダヤキャンペーンを展開。この反ユダヤ宣伝は、不況下の生活苦にあえぐポーランド人の一定の支持を集めたことから、次第にピウスツキ派もこれに同調するようになっていきます。

 また、1935年6月にはグロドノ(現ベラルーシ領フロドナ)で、1936年3月にはピシティクで、同年6月にはミンスク・マゾヴィエツキ(現リトアニア領テルシェイ)で、1937年5月にはブジェシチ(現ベラルーシ領ブレスト)で、ポグロム(流血を伴う反ユダヤ暴動が)も発生しています。

 こうした事態に対して、ポーランド政府は国内のユダヤ人口を減少させることが問題の解決になると考えるようになり、ユダヤ人の国外移住を奨励。この結果、ポーランド国籍のユダヤ人がドイツに多数居住するようになりました。そして、そうしたユダヤ系ポーランド国民のドイツからの帰還を望まなかったポーランド政府は、1938年10月6日、発行済みの全てのポーランド旅券につき検査済みの認印を必要とする新旅券法を布告し、ドイツをはじめ国外在住のポーランド系ユダヤ人の旅券と国籍を無効化しようとします。

 こうしたポーランドによるユダヤ人の国籍剥奪と帰国拒否は、結果的に、ホロコーストの本格的な幕開けとされる“水晶の夜”の悲劇の引き金となりました。その意味では、ポーランドにも“水晶の夜”の悲劇とその後のホロコーストに対して、全く責任がないとは言い切れないでしょう。

 なお、このあたりの事情については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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