内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(38)
2016-02-20 Sat 10:51
  ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』598号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年代初頭のテュニジアについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      テュニジア・パレスチナ支援(1981)

 これは、1981年11月にテュニジアが発行した“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”の寄附金つき切手です。

 フランス保護領時代の1934年、テュニジア独立運動の指導者であったハビーブ・ブルギーバはフランス当局によって逮捕され、砂漠の収容所に抑留されました。その後、第二次大戦が勃発し、フランスがドイツに降伏すると、獄中のブルギーバはドイツ軍によって釈放され、ドイツへの戦争協力を求められましたがこれを拒否。1943年にカイロに亡命して、北アフリカのフランス植民地解放を推進する国際運動を進めます。

 第二次大戦後の1949年、ブルギーバは一時帰国を許されましたが、1952年には再逮捕され、再び亡命して国外で独立運動を指導することになりました。

 その過程で、1952年6月、ブルギーバ側近のバヒ・ラドガムはテュニジア独立運動への支援を求めてイスラエル外務省の創設者の一人であるギディオン・ラファエルに接触。ブルギーバ本人も、独立後のテュニジアはイスラエル国家の解体を求めず、中東の平和促進のために努力するつもりだと述べるなど、パレスチナ問題に関しては、明らかに、他のアラブ諸国と一線を画していました。

 1956年3月20日、テュニジアは伝統的な地方君主であるベイを元首とする立憲君主国“テュニジア王国”として独立します。同月25日の選挙ではブルギーバの新憲政党を中心にして結成された民族戦線が圧勝し、ブルギーバは初代首相に就任。さらに、翌1957年、ブルギーバは王制を廃して自らテュニジア共和国初代大統領に就任しました。

 この時期は、1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)でエジプトが英仏のスエズ侵攻作戦を撃退したことで、ナセルと彼の唱道するアラブ民族主義の権威が絶頂期にあったこともあり、表面上は、ブルギーバのテュニジアもナセルに接近する姿勢を示していました。

 アラブ諸国の対イスラエル政策の基本は、“イスラエルを承認せず、イスラエルとは交渉せず、和平を結ばず”の三不政策であり、アラブの一員としてのテュニジアも、建前としては“反イスラエル”を掲げ、三不政策を順守していることになっていましたが、実際には、ブルギーバは秘かに駐仏イスラエル大使のヤアクーブ・ツールと接触しており、そのルートを通じて、テュニジアの財務大臣がイスラエルに対してテュニジア国内の大型農業開発への援助を極秘裏に要請するなど、テュニジアとイスラエルは実質的には良好な関係にあったといえます。

 ただし、一般のテュニジア国民の感情としては、アラブの同胞であるパレスチナを解放し、宿敵イスラエルを打倒すべきとする声が圧倒的多数でしたし、なにより、三不政策の“抜け穴”になっているという公然の秘密が問題視されて周辺アラブ諸国からの孤立を招くことは避けなければなりませんでしたから、テュニジアは1973年の第4次中東戦争にもごく少数の部隊を派遣しています。

 世俗主義的なリアリストであったブルギーバは、国家の近代化(西洋化)と国民の生活水準向上こそが政治の重要課題であり、それゆえ、イデオロギーとは無関係に、必要とあらば(イスラエルを含む)どの国・組織とでも手を結ぶ全方位外交を展開していました。北アフリカ諸国の中で、反西欧・反イスラエルのイデオロギーを鮮明に掲げていたリビアやアルジェリアは潤沢な石油資源があったため、そうした自己主張が可能でしたが、資源に乏しいテュニジアは、主に欧米人を対象とした観光収入に依存し、西側資本主義諸国との協力・援助が不可欠だったがゆえに、イスラエルに対しても現実的な姿勢を取らざるを得なかったのです。

 1979年のエジプト・イスラエル単独和平の結果、エジプトは“アラブの大義”に反したとしてアラブ連盟を追放されましたが、エジプトを批難したアラブ諸国の指導者たちも、1967年の第3次中東戦争での壊滅的な敗北の経験を考えれば、従来の三不政策が非現実的なものであることは十分に認識していました。さりとて、“アラブの大義”は国民統合のための重要なイデオロギーであったから、国民が納得できる大義名分のないまま、これを撤回してイスラエルに融和姿勢を取ることはリスクが大きすぎます。したがって、表面上は“アラブの大義”を掲げ続けるものの、実際にはイスラエルと水面下での接触をはかるというのが、現実的な対応となります。

 その場合、三不政策の“抜け穴”であったテュニジアの首都、テュニスは格好の場所であり、それゆえ、エジプト追放後のアラブ連盟本部の移転先として白羽の矢が立てられたのです。

 アラブ連盟の本部所在地となることは、ある意味で“アラブの盟主”となることでもありましたから、たとえばリビアのように、強固なアラブ民族主義を掲げるイデオロギー国家であれば、本部の移転の記念切手を大々的に発行したのでしょうが、全方位外交を旨とするテュニジアが連盟本部のテュニス移転そのものを記念する切手を発行することはありませんでした。

 一方、テュニジア国内では、1974年にブルギーバが終身大統領となり、権威主義的な独裁体制を構築していたが、そのことに対する国民の不満も次第に鬱積していきます。

 そのことを象徴するような事件が、1978年1月26日の“暗い木曜日”です。

 事件は、テュニジア労働者総同盟(UGTT)が組織したゼネストに対して、これを鎮圧するために動員された軍の発砲により130人余の死者が出たというもので、これを機に、UGTTは徹底的な弾圧を受けることになります。

 このため、政府に対する抗議活動の主力は、“イスラム志向運動(MTI)”を中心としたイスラム系諸団体へと移行。特に、1979年2月に遠くイランで発生したイスラム革命は、テュニジアのイスラム主義者たちにも大きな刺激を与え、彼らの運動は国際的なイスラム復興主義とも連動していくことになりました。

 こうした中で、1981年5月31日、MTI は25人の執行委員を選出したうえで、政党としての認可を申請しましたが、政府はこれを許可せず、MTIの反政府活動を告発し、彼らを批難するキャンペーンを展開。7月18日にはMTIの幹部および活動家60人を逮捕し、組織を抑え込みます。

 こうして、テュニジア国内の反政府活動は強引に抑え込まれましたが、国内の亀裂は深刻な状況であることが誰の目にも明らかになります。

 アラブ連盟本部のテュニス移転の記念切手さえ発行しなかったテュニジアが、1981年11月、突如、今回ご紹介の“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”と題する3種セットの寄附金つき切手を発行したのも、アラブ連盟の本部所在地であることを活かして、国民統合の象徴として“アラブの大義”を強調する意図があったためと考えられます。

 なお、この切手が発行された翌年の1982年9月、PLO本部はベイルートからアラブ連盟本部所在地としてのテュニスに移転。テュニスはパレスチナ解放運動の重要な拠点になりますが、テュニジア政府は、それを積極的に支援していたというよりも、国内の体制を脅かさない限りにおいて、彼らの活動を黙認するというスタンスでした。ちなみに、1993年のオスロ合意とパレスチナ自治政府の樹立について、テュニジア政府は、テュニジアが長年にわたりPLOとイスラエルの(秘密)交渉を仲介し続けてきたからこその成果であると主張しています。


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