内藤陽介 Yosuke NAITO
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 竹島の日
2016-02-22 Mon 11:54
 きょう(22日)は“竹島の日”です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      竹島切手(5圜)

 これは、1954年に韓国が発行した竹島切手のうちの5ファン切手です。1954年の竹島切手は、2ファン、5ファン、10ファンの3種セットで発行されたのですが、これまで、僕のブログでは2ファンと10ファンの切手については紹介したことがあるものの、5ファン切手は紹介しそびれていたので、今回、取り上げました。

 朝鮮戦争の勃発後、連合諸国の対日講和条約が具体的に議論されるようになると、韓国政府は大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を根拠として、戦勝国として講和条約に調印することを主張しましたが、国際社会からは全く相手にされませんでした。1945年以前の朝鮮半島は大日本帝国の正規の領土であり、大韓民国臨時政府は連合諸国から承認された存在ではなく、したがって、朝鮮人による抗日闘争はあったにせよ、韓国が国家として日本と戦った事実はないというのが国際社会の共通認識だったからです。当然のことながら、1951年9月、サンフランシスコで開催された講和会議にも、韓国が参加を許される余地は全くありませんでした。

 このため、講和条約調印後の1951年10月、あらためて日本と韓国との国交樹立に向けた予備会談がスタートしましたが、日本を反共の防波堤として育成することを企図していた米国は、韓国側の対日賠償請求を押さえ込もうとしていました。このため、新たな交渉材料を作り出す必要に迫られた李承晩政権は、1952年2月に国交正常化交渉(第1次会談)が開始される直前の1月18日、突如「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を発します。

 講和条約調印時、日本漁船の活動可能領域は、SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内、すなわち“マッカーサー・ライン”の内側とされていました。これに対して、李の宣言は、国防と漁業資源の保全を理由として、韓国沖合の部分について、マッカーサー・ラインよりも日本寄りに“平和線”(日本側では“李承晩ライン”と呼ばれていました)を設定。これを領海として、水域内のすべての天然資源、水産物の利用権を主張したものでした。

 日本敗戦後の1946年1月29日、GHQは「若干の外郭地域の日本からの統治上及び行政上の分離に関する総司令部覚書」(以下「外郭地域分離覚書」)を発し、“日本”の範囲を「日本の四主要島(北海道、本州、九州及び四国)と約1000の隣接諸小島を含むものと定義される」と規定しました。

 この“隣接諸小島”には対馬も含まれていましたが、1949年1月7日、韓国政府は一方的に対馬の領有を宣言し、占領下で主権が制限されている日本に対して対馬の返還を要求。しかし、この要求は連合諸国から一蹴されています。

 ついで、講和会議直前の1951年7月19日、韓国政府は講和条約草案を起草中の米国政府に対して、①日本の在朝鮮半島資産の韓国政府および米軍政庁への移管、②竹島、波浪島を韓国領とすること、③マッカーサー・ラインの継続を要求する要望書を提出。ここで②の要求の根拠となったのが、「欝陵島、竹島及び済州島」は日本の“隣接諸小島”から除外するという「外郭地域分離覚書」の規定です。

 これに対して、8月10日、米国は、国務次官補ディーン・ラスク名義で、①の日本資産の移管についてのみ認め、それ以外の韓国政府の要求を明確に拒否する旨の文書(「ラスク書簡」)で回答。9月に講和条約が調印され、翌1952年4月28日の条約発効をもってマッカーサー・ラインも廃止されることになっていました。

 さて、李承晩ラインでは、「外郭地域分離覚書」の規定を根拠に、その内側に竹島(韓国名“独島”)を含めて領有権を主張しており、これが、いわゆる竹島問題の発端となります。

 当然のことながら、1905年の「内務大臣訓令」によって竹島を島根県隠岐島庁へ編入して以来、第二次大戦の終結まで一貫して竹島を領有していた日本側は、李承晩ラインの設定に猛反発。米国も韓国政府を非難しました。

 こうしたなかで、1952年2月、日韓国交正常化交渉(第1次会談)が始まりましたが、会談では、“戦勝国”として日本に対して賠償を要求する韓国と、植民地支配は国際法上合法として、逆に、韓国内で接収された旧日本資産の補償を主張する日本との間で議論が平行線をたどり、同年4月には早くも無期延期となります。

 その間にも、李承晩ラインを侵犯したとして韓国側に拿捕される日本漁船が続出。さらに、戦後、朝鮮戦争や済州島四・三事件の混乱を逃れて日本に密入国した韓国人の送還問題もあって、韓国との交渉再開は日本側にとって緊急の課題となっていました。

 このため、1953年4月、日韓交渉(第2次会談)が再開されたものの、同年6月、韓国側が朝鮮戦争の休戦成立に備える必要から中断。さらに、同年10月の第3次会談では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」、「当時、日本が朝鮮に行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」などと発言したことから、日韓双方による非難の応酬となり、会談は決裂し、国交正常化交渉は1958年4月まで中断されてしまいます。

 日韓両国の対立を懸念した米国大統領のアイゼンハワーは、1954年7月、韓国に対して李承晩ラインの撤回など日本への宥和を求めたのですが、これは逆効果となり、態度を硬化させた韓国側は米国との交渉をも決裂させ、翌8月には対日経済断交措置を発動してしまうといったありさまでした。

 今回ご紹介の竹島切手は、こうした状況の中で、1954年9月、あらためて、竹島の領有権と李承晩ラインの正当性を主張するために発行されたものです。

 当時、日本側は、竹島切手の貼られた郵便物を韓国に返送することで対抗しようとしたものの、膨大な郵便物の中から竹島切手の張られたものだけを返送するというのは実務上きわめて困難で、実際には、この切手が貼られたまま日本国内で配達された郵便物も少なくありません。したがって、歴史書などに時々見られる「日本側は竹島切手の有効性を認めず、この切手が貼られた郵便物を韓国側に返戻した」という記述は事実と異なります。

 その後も現在にいたるまで、日本政府は竹島の領有権を主張しつづけていますが、韓国が警備隊を常駐させてこの島を実効支配しているのを黙認してきたのが現実です。

 竹島に限らず、領有権を巡って複数の国が争っている地域に関しては、あらゆる機会をとらえて、それが自国の領土であることを繰り返し訴え続けるというのが国際社会では常識です。その意味では、韓国が官民挙げて“独島”の領有権をアピールすることに余念がないのは、その主張の是非とは別の次元で、ある意味当然の行動でしかありません。

 むしろ、そうした韓国側の主張に対して、多くの日本国民が竹島問題には無関心で、日本政府もほぼ無策のまま60年間を過ごしてきたということが、今日の事態を招いてしまったのだという現実を受け止め、真剣に反省することがまずは必要ではないでしょうか。

 なお、竹島問題と切手の関係については、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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