内藤陽介 Yosuke NAITO
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 捕虜・収容所協定25年
2016-04-19 Tue 10:28
 1991年4月18日に日ソ間で捕虜収容所問題の速やかな処理を目的に「捕虜収容所の収容者に関する政府間協定(捕虜・収容所協定)」が締結されてから25周年を迎えたのにあわせて、昨日(18日)、都内で記念集会が開かれました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      シベリア抑留・タイプⅢ新潟宛(1949)  シベリア抑留・タイプⅢ(新潟宛・1949裏)

 これは、第二次大戦後、シベリアに抑留されていた日本人男性が差し出した葉書で、1949年2月5日にウラジオストクを経由し、日本到着後、3月31日にGHQの検閲を受け、新潟県の宛先まで届けられています。

 いわゆるシベリア抑留者と日本との通信に使われた専用往復葉書(捕虜郵便用の料金無料葉書)については、さまざまタイプがあることが知られていますが、これはそのうちのタイプ3と分類されているモノ(右下に“No87”の表示がある)の往片です。

 1945年8月9日、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲北朝鮮、千島、樺太に侵攻。捕虜となった旧日本兵に対して、ソ連側は「トウキョウ、ダモイ」すなわち東京へ帰還(ダモイ)させると甘言を弄して彼らをシベリア鉄道の貨物列車に詰め込み、東はカムチャッカ半島のペトロパブロフスクから西はウクライナのクタイス、北は北極圏のノリリスクから南は中央アジア・ウズベキスタンのタシケントやフェルガナまで、およそ2000ヵ所にも及ぶ収容所へと移送しました。戦争が終わり、これで帰国できると信じていた旧日本兵の心理を逆手にとって、国家ぐるみで騙したのです。

 収容所では、十分な食糧も与えられないまま重労働を課せられ、過重なノルマを達成できなければ容赦なく食事を減らされました。また、医療・衛生環境もきわめて不十分でしたから、過酷な自然環境とあわせて、多くの犠牲者が出るのも当然でした。厚生労働省が把握しているだけでも約56万1000人の日本人が抑留され、6万人が亡くなったといわれています。

 また、ソ連当局による洗脳工作と恣意的な反ソ分子の摘発と拷問、密告の奨励など、抑留者たちは、肉体だけでなく、精神的にもきわめて過酷な環境に置かれ続けました。

 ソ連があらゆる国際法規を無視して(たとえば、対日参戦に際してソ連が署名していたポツダム宣言には、連合国の捕虜となった日本兵を本国へ早期帰還させることがはっきりと規定されています)日本人を抑留し、強制労働を課したのは、ドイツとの戦争で荒廃しきった自国の経済復興のため、奴隷同然の安価な労働力が必要だったためです。

 ソ連当局が“捕虜”に対して各自の家族に通信することを許可すると発表したのは、終戦後1年以上が経過した1946年9月のことで、同年10月20日付で、日本人抑留者に対して本国への通信を認めた「日本人軍事捕虜と日本、満洲、朝鮮に居住するその家族との交信規定についての訓令施行に関するソ連邦内務省指令第00939号」を発し、抑留者と祖国との通信が始まりました。ただし、これは抑留者全員に許可されたわけではなく、ソ連側の基準で“(労働などの)成績の良好な者”に限られていたといわれています。
 
 また、ソ連側の検閲基準では、反ソヴィエト的ないしは親ファシスト的と彼らが判断した内容の記述がある葉書は没収されたほか、①各収容所や特設病院、労働大隊に収容されているその他の軍事捕虜についての記述、②各収容所や特設病院、労働大隊に滞在時に病死したか事故死した軍事捕虜についての情報、③各収容所や特設病院、労働大隊、軍事捕虜が働いている企業の配置場所、④軍事捕虜が遂行している労働の性格、などを日本宛の葉書に書くことは「絶対に禁止」されており、必要に応じて“問題個所”を検閲担当者が抹消した後、日本宛に送られました。

 スターリン時代の粛清の嵐の中で、秘密警察により、多くのソ連国民が無実の罪を着せられて収容所に送られましたが、そうした人々もまた、収容所内の他人の消息を外部に伝えることが禁じられていました。シベリア抑留の捕虜郵便についても、この規定がそのまま踏襲されたとみてよさそうです。

 ちなみに、収容所送りとなったソ連国民が、外部に対して、収容所内の家族・友人の情報を外部に伝える場合には、「XX(人名)と同じ収容所にいる/病気で入院している」という直接的な表現ではなく、「XXと話をした/会った」という表現を用いることが行われていましたが、今回ご紹介の葉書でも、そうした表現が見られます。以下、その文面を書き起こしてみましょう。

 ソ同盟に来てから数回手紙を出したが一度も返事がないので消息を案じて居る。私はこちらに来てから三年余りになるが非常に元気で暮らして居るから安心して呉れ。
  哈爾濱組の植村、菊池其他数名の家族からは返信が来て居るから多分お前達も無事帰っていることを信じて居る。新聞其他に依れば終戦後の日本は相当困難なる状況を呈して居るとか。女手一つで生計も難しいだろうが之も試練、兎に角頑張って呉れ。
  新潟の方に起居していることと思うが子供の教育には特に意を用うる様頼む。暇があれば西市の方にも行って呉れ、同僚は続々帰国しつつある。私達の帰国も近い。楽しみに待ってて呉れ。御両親様によろしく。睦子に私は元気だと伝えてください。

 上記の文面のうち、「哈爾濱組の植村、菊池其他数名の家族からは返信が来て居るから…」と記した部分は、まさに、戦前の満洲で交流のあった知人が同じ収容所で抑留されていることを間接的に伝えるもので、彼らの置かれていた苦しい状況がしのばれます。

  なお、シベリア抑留者の郵便に関しては、拙著『ハバロフスク』でもその概要についてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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