内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学(42)
2016-04-25 Mon 11:34
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第50巻第2号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・10月14日事件

 これは、1975年1月16日に発行された“10月14日事件”の記念切手です。

 1973年10月4日、民主化を要求する政治家、市民運動家、学生活動家、教職員を中心に“憲法要求100人委員会(以下、100人委員会)”結成。これに対して、6日、政府は、共産主義者が国家転覆を企てたとして100人委員会の11人を逮捕します。その後も逮捕者は増え、8日にはカイセーン・スックサイ元国会議員が逮捕され、タノーム・キッティカチョーン首相はカイセーンと一味は共産主義者に扇動され政府転覆計画を謀ったと断定し、彼らの無期限拘留を命じました。

 これをきっかけに、タノーム政権に対する抗議行動が一挙に拡大します。

 1963年以来のタノーム政権による開発独裁路線は、いわゆるヴェトナム戦争特需に支えられた経済成長を基盤としたものでした。このため、1973年3月29日にヴェトナム戦争に関するパリ和平協定が調印され、同年3月29日、米軍がヴェトナムから撤退すると、大きな打撃を受けることになります。加えて、国際市場では米価の低迷より輸出が落ち込み、タイ共産党のゲリラ活動やインドシナ諸国からの難民の流入に対応するため防衛費の過大な負担もあいまって、タイ経済は低迷しました。

 さらに、タノーム政権の副首相兼内務相であったプラパート・チャールサティエンは、自分の娘をタノームの息子、ナロン・キッティカチョーン(第11連隊長)に嫁がせており、タノーム政権下での人事の停滞もあって、国軍を私物化に対する不満が軍人たちの間にも蔓延していました。

 ところで、1972年12月15日に施行された「仏暦2515年統治憲章」は、第17条で“絶対権力”としての政権へ権力集中を規定していたましたが(カイセーン元議員の逮捕はこの条文がその根拠です)、その一方で、3年以内の憲法施行をも謳っており、1973年1月には憲法起草のための22人委員会も設置されていました。

 100人委員会は、こうした背景の下で憲法の早期制定と駐留米軍の早期撤退を求めたわけです。

 さて、100人委員会メンバーの逮捕に対する抗議活動は、10月8日にバンコク首都圏およびチェンマイ市の各大学で始まり、10日には全国に波及。12日には「市民連合は本日10月12日正午より24時間以内に逮捕された憲法要求100人委員会の運動家13名の釈放、民主政治を要求する。もし満足できる処置回答がこの時間内に政府から得られない場合に市民連合は思い切った行動に出るであろう」との最後通牒が発せられ、翌13日、タムマサート大学構内から民主記念塔へデモ行進が始まりました。デモ行進は当初から20万人が参加し、最終的には40万人を超える規模にまで拡大します。これは、タイの歴史において、空前の規模でした。

 ここにいたり、国王ラーマ9世が仲裁に乗り出し、逮捕者13人ら無条件解放と1974年10月に憲法を公布する(予定)ことが確認され、市民側は勝利宣言を発し、一連の抗議行動は公式には終了しました。

 ところが、デモ参加者の一部は抗議集会の続行を主張して、民主記念塔から王宮広場に移動。翌14日未明、彼らはチットラダー宮殿に向けてラーチャダムヌーン・ノーク通りの行進を開始しましたが、途中、国税庁などいくつかの政府機関を占拠したため、武装警察隊、次いで陸軍部隊が出動。デモ参加者の一部が国家行政査察庁を含む4つの政府建物や交番に放火するなど暴徒化するなかで、当局による鎮圧の過程で、77人が死亡、857人が負傷する流血の惨事となりました。

 これが、10月14日事件です。

 結局、国王の仲裁を仰ぎながら、流血の事態を招いた責任を取るかたちで、タノーム首相、プラパート副首相、ナロン大佐は国外への亡命を余儀なくされ、タノーム政権は崩壊。国王はタムマサート大学々長サンヤー・タムマサックを首相に指名し、サンヤーは「出来るだけ速やかに民主憲法を発布し、現在から6ヶ月以内に総選挙をすることになる」と演説しました。

 事件の成果として1974年10月7日に施行された「仏暦2517年タイ王国憲法」は、タノーム政権時代の反省から、議会による政府のコントロールを強化し、議院内閣制(首相は下院議員でなければならず、閣僚の半数以上は上院あるいは下院の議員でなければならない)を採用。議員の公務員兼職禁止、議員及び閣僚の資産公開、会計検査院の設置などを謳っていました。ただし、上院議員を任命する際に枢密院議長が副署するとの規定については国王の政治的関与とされる余地があるとして、1975年1月19日、国王の意向により、署名者を首相とするよう改正されています。(仏暦2518年改正タイ王国憲法)

 今回ご紹介の切手は、上記のような一連の民主化運動が一区切りしたことを受けて、1975年1月26日に4種セットで発行されたモノのうちの1枚です。

 さて、今回の「泰国郵便学」では、1973年10月14日事件をの話題を中心に、1973年10月に発行された古典文学の切手と、チェンマイのワット・スアンドークの切手もご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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