内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ソ連とマンデラ
2016-05-17 Tue 12:04
 南アフリカ共和国(以下、南ア)ダーバン米総領事館の元副領事で、CIAのエージェントだったドナルド・リカード氏(以下、敬称略)が、1962年にネルソン・マンデラが逮捕されるきっかけになったのはCIAの情報であったことを告白してから2週間後の今年(2016年)3月、急死していたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・マンデラ

 これは、1988年にソ連が発行したネルソン・マンデラの切手です。切手の発行時、マンデラはすでに白髪になっていたと思われますが、当時の彼は獄中にあり、直近の写真が公開されなかったため、切手の肖像も1963年の逮捕前の写真をもとに作成されました。

 第二次大戦中、南アのヤン・スマッツ連合党政権は英連邦、すなわち連合国の一員として第二次大戦に参戦。第二次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保しましたが、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大します。当時の南アでは、他の欧米のアフリカ植民地と同レベルの有色人種に対する差別的な制度が機能していましたが、連合党が有色人種に対する譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判することで、アフリカーナーの支持を獲得していきます。

 こうした背景の下、1948年の総選挙で国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンで、これにより、彼らは地滑り的な勝利を収めました。

 もともとオランダ改革派教会の聖職者だったマランは「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定し、さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 これと並行して、国軍を含む公職からアフリカーナーの国民党員以外の人物を締め出し、全国の選挙区の区割りを政権側に都合の良いように変更した上で集会の自由などの国民の権利を制限しました。もちろん、“抑圧された人々”の団結を唱える共産主義は御法度です。

 当然のことながら、独立運動組織のアフリカ民族会議(ANC)はこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで、“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されたりすることもありました)に抗議するデモ隊に警官隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ズールー語で“民族の槍”を意味するウムコント・ウェ・シズウェ(MK:uMkhonto we Sizwe)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行います。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化しました。

 この過程で、西側陣営の一角を占める南ア政府に対する反対勢力として、ソ連はANCの武装闘争を支援。武器の提供のみならず、2000人に及ぶMKの戦闘員の訓練も行ないました。こうしたことから、1962年、今回の報道で話題となったリカード はマンデラが「完全にソ連の影響下にあった人物で、南アで戦争を起こしかねなかった」との認識の下、マンデラらの情報を南ア政府に提供。マンデラは1962年8月に逮捕され、翌1963年7月にはウォルター・シスルやゴバン・ムベキらANC指導部がヨハネスブルク近郊のリヴォニアにおいて一斉逮捕(すでに獄中にあったマンデラも再逮捕)されました。ちなみに、米国政府は、2008年まで、ANCを“テロリスト団体”に指定していました。

 南ア政府の弾圧により、MK は壊滅的な打撃を受け、1970年前後にはその活動も大いに低迷しましたが、この時代にもソ連はANCならびにMKを存続させるためにさまざまな支援を行っていました。そして、1976年のソウェト蜂起後、ソ連で訓練を受けたMKの戦闘員が続々と南ア入りし、各地で破壊活動を展開。国際世論の圧力と併せて、南ア政府にアパルトヘイト政策の撤廃を決断させることになりました。

 今回ご紹介の切手は、そうした背景の下、ANC の大口スポンサー出会ったソ連が、“アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴”としてのマンデラを称えるために発行したものです。もっとも、切手発行から1年後の1989年にはベルリンの壁崩壊に始まる東欧共産諸国の崩壊が起こり、東西冷戦が事実上終結。この結果、もはやANC が南ア国内で一定の政治勢力となっても、南アが共産化する可能性はなくなったことを受けて、1990年2月11日、マンデラは27年ぶりに釈放されました。ちなみに、釈放後のマンデラに対して、ソ連政府はレーニン国際平和賞を授与しましたが、翌1991年にソ連そのものも崩壊してしまったことから、マンデラは同賞の最後の受賞者となりました。

 なお、ネルソン・マンデラとその時代については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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