内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の国々:インド
2016-05-25 Wed 10:22
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年5月25日号が、先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ボース・カバー(独立前)

 これは、1947年1月28日、タミル・ナドゥ州のナチアプランから州内のティンドゥッカル宛に差し出された郵便物で、封筒の余白に、スバース・チャンドラ・ボースの写真が印刷されています。

 日英開戦が現実のものとして迫りつつあった1941年9月、日本の陸軍参謀本部はアジア各地のインド人の反英闘争を組織化するため、バンコクで“藤原機関”を結成しました。

 同年12月、いわゆる太平洋戦争(大東亜戦争)がはじまり、日本軍がマレー半島に進攻すると、藤原機関はイギリス軍の中核を占めるインド人兵士への降工作を行い、捕虜となった英印軍将兵の中から志願者を募って、インド国民軍を編制。マレー半島西岸の街アロースターで投降してきたモーハン・シン大尉がその司令官に就任します。

 インド国民軍はインド独立を最終目標と掲げ、白人支配からアジアを解放するためことを大義名分として掲げ、1942年8月には4万2000の兵力を擁するまでに成長しましたが、司令官に就任したシンにはその地位に見合った能力がなく、軍内は混乱。このため、インド独立運動の指導者として声望の高かったスバース・チャンドラ・ボースが招聘されることになりました。

 ボースは、ガンディーやネルーらとの路線対立から、イギリスという“敵の敵”であるドイツに接近し、ヒトラーに対して枢軸国の共同作戦としてのインド侵攻を要請していました。しかし、この提案はドイツ側から拒絶されたため、1943年5月、ドイツから日本に渡り、当時の首相・東条英機からインド独立のための支援の約束をとりつけ、シンガポールに乗り込んだのです。

 こうして、同年7月2日、ボースはインド国民軍の総司令官に就任し、10月21日にはシンガポールで結成された“自由インド仮政府”の首班に就任しました。

 日本政府は、はやくも同月23日、自由インド仮政府を承認。同政府首班としてのボースは、11月5-6日、日本の戦争目的である“アジア解放”を宣伝するために東京で開催された“大東亜会議”にオブザーバーとして招聘され、日本軍の占領下に置かれていたアンダマン・ニコバル諸島を同政府の統治下に置くことが決定されています。

 ところで、日本占領下のビルマから国境を越えてインドへ進攻しようというプランは、太平洋戦争の早い時期から検討されていましたが、1943年11月の大東亜会議でボースがその実施を要請し、首相・東条英機がこれを強く支持したこともあって、1944年3月8日、ビルマとの国境に近いインドの都市インパールの攻略作戦が発動されます。

 日本軍は、インド国民軍とともに、4月29日の天長節までにインパールを攻略することを目標としていましたが、その作戦計画は補給面を軽視するなど杜撰なものでした。このため、日本軍はいったん、インパール近郊のコヒマを占領したものの、ジャングル地帯での作戦は困難を極め、空陸からのイギリス軍の反攻が始まると前線は補給路を断たれて餓死者が大量に発生。最終的に、インパール作戦での日本側の損害は、戦死3万、戦傷4万2000を数え、ガダルカナルの4倍以上の被害を蒙った大惨敗に終わりました。

 インド国民軍は、その後もイラワジ会戦などで日本軍とともにイギリス軍と戦ったものの、敗走を重ねます。さらに、ビルマでは、敗色濃厚となった日本軍の能力を見限ったアウン・サン率いるビルマ国軍が反ファシスト人民解放連盟を組織し、日本軍から離反したため、仮政府とインド国民軍は、日本軍とともにビルマからタイに撤退し、そこで終戦を迎えました。

 日本が降伏すると、ボースは戦後の東西冷戦を見越して、イギリスの“敵の敵”であるソ連に渡って独立闘争への支援を得ようとしましたが、1945年8月18日、移動中の台湾で飛行機事故により死亡。彼の死により、仮政府は自然消滅状態となり、インド国民軍もイギリス軍に降伏しました。

 戦後、イギリス植民地政府はインド国民軍幹部をイギリス国王に対する反逆罪で裁こうとします。しかし、ガンディー率いるインド国民会議派と一般のインド国民の激しい抗議活動にあい、被告は釈放されました。今回ご紹介のカバーも、こうした状況の下で、インド国民軍に対する一般のインド人の敬愛の念が生んだマテリアルと言ってよいでしょう。ちなみに、現在でも、チャンドラ・ボースをはじめとする仮政府幹部はインド独立の志士として、インド国民の尊敬を集めています。

 さて、『世界の切手コレクション』5月25日号の「世界の国々」では、チャンドラ・ボースについての長文コラムのほか、タージ・マハル古典舞踊のカタカリターバン姿のシーク教徒、タタ財閥の創始者ジャムシェトジー・タタベンガルトラの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、2週間お休みをいただいて、次回は6月8日発売の6月15号でのエジプトの特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 

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 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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