内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ポズナン暴動60年
2016-06-28 Tue 11:24
 1956年6月28日にポーランドでポズナン暴動が起きてから、今日でちょうど60年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックでっ拡大されます)

      ポーランド・ポズナン暴動50年

 これは、2006年にポーランドで発行されたポズナン暴動50年の小型シートです。

 1952年、ポーランドは正式にポーランド人民共和国となり、名実ともにソ連の衛星国となりました。当然のことながら、多くの国民は不満でしたが、ボレスワフ・ビェルト率いるポーランド統一労働者党(共産党)政権は、宗主国のスターリンに倣って反体制派を弾圧し、体制を維持していました。

 ところが、1953年3月にスターリンが亡くなり、1956年2月、ソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン批判を行うと、宗主国の突然の方針転換にショックを受けたビェルトはショックで心臓発作を起こして3月に急死。エドヴァルト・オハプが党第一書記となりました。

 こうした状況の下、1956年6月28日、国際見本市が開かれていた西部の都市ポズナンでは、外国特派員の存在を意識して、未払い分の給料の支払いを求める工場労働者のデモが発生。政府が力づくでこれを抑え込もうとすると、反発したデモ隊は暴徒化し、100名を越える死傷者が発生しました。

 これが、いわゆるポズナン暴動です。

 暴動の発生を受けて、統一労働者党の指導部は守旧派からなるナトーリン派と穏健改革派のプワヴァ派に分裂しましたが、前者は“民主化”の要求には反対しながら、大幅な賃上げとユダヤ系指導者の追放、ヴワディスワフ・ゴムウカの復権などのスローガンを掲げて、大衆の真理に訴えようとします。

 ここで、ナトーリン派がユダヤ系指導者の追放をスローガンとして掲げていたのは、ルブリン政権以来の失政の原因をすべてユダヤ人政治家や党員に押し付けることで、同じく党の指導部にいたはずの自分たちへの非難をかわそうとしたものでした。

 ちなみに、ゴムウカは1905年、ハプスブルク帝国支配下のクロッセン(ポーランド語名クロスノ)近郊生まれ。戦前からの古参共産党員で、第二次大戦後はポーランドでの共産主義体制の樹立に尽力しましたが、1948年に“右翼民族主義的”と批判され、翌1949年に党を除名され、1951年には逮捕・投獄されていた人物です。

 ナトーリン派のプロパガンダは、ポーランド国内の眠っていた反ユダヤ主義を刺激する結果となり、ヴロツロワで「ユダヤ人に仕返しをしよう」という男がユダヤ系時計職人のハイム・ヌトコーヴィチを殺害。さらに、ヴァウブジィフでもユダヤ人に対する暴行事件が発生したほか、各地でユダヤ人の住居に「ポーランドから出ていけ」との多数の落書きが発見されました。

 スターリン没後の1955年、ポーランド政府はユダヤ人のイスラエルへの出国制限を緩和していましたが、これに、1956年のポズナン暴動の混乱とナターリン派による反ユダヤ主義のプロパガンダ等が加わり、ポーランドから脱出するユダヤ人は急増します。

 しかし、ポズナン暴動後の騒然とした空気の中で、こうした動きがポグロムにつながり、社会的な混乱を増幅させることを恐れたポーランド政府は、軍と警察を導入してポグロムの発生を抑え込みました。

 結局、暴動後の10月21日、責任を取らされるかたちでオハプは辞任。ゴムウカが党第一書記として復権を果たし、ナトーリン派は(一時的に)指導部から追放されます。

 権力を掌握したゴムウカは、ワルシャワ条約機構の枠組みは維持するものの、その中での可能な限りの自主路線を模索。具体的には、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和、ソ連残留ポーランド人(その中には少なからずユダヤ人も含まれていた)の帰国交渉などの改革が行われ、結果的に、スターリン主義的な風潮はかなり緩和されました。

 これに対して、フルシチョフがスターリン批判を行ったとはいえ、ソ連が衛星国の“ソ連離れ”を歓迎するはずもなく、ソ連とポーランドの間には確執が生じることになりました。

 ちなみに、ポズナン暴動後の混乱が取りあえず収束した1957年2月、首相のユーゼフ・ツィランキェヴィチは以下のような声明を発しています。

 ポーランド国民はその出自、民族、信仰に関わりなく、その権利と義務は平等であるという原則を、我々は完全に守るであろう。何世紀にもわたってポーランドを祖国としてきたユダヤ人住民に対する差別とか、同権の法規をゆるがせる試みに対しては政府とその諸機関は断固とした共同の措置を取る。

 また、ほぼ時を同じくして、新聞には、第二次大戦後初めて反ユダヤ主義を批判する記事が掲載され、党中央委員会は地方組織に対して反ユダヤ主義の兆候を見逃さずに反撃するよう、通達を出しました。

 しかし、結果としてユダヤ系ポーランド人の出国は止まず、1955-60年にポーランド国外に脱出したユダヤの数は5万5000人にのぼり、1961年の時点では、ポーランド国内のユダヤ人口は2万5000-3万人にまで落ち込みました。これは、第二次大戦以前(340万人)の1パーセント以下の水準です。

 なお、共産政権下のポーランドの反ユダヤ主義については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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