内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(42)
2016-07-17 Sun 16:46
  ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』613号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、サブラー・シャティーラ事件について取りあげ、この切手をご紹介しました。

      テュニジア・サブラー・シャティーラ事件

 これは、事件から1周年にあたる1983年9月20日、PLO本部所在地のテュニスを擁するテュニジアが事件の犠牲者を追悼するために発行した寄附金つき切手です。

 1975年に始まったレバノン内戦は、当初、ムスリム有利に展開され、PLOは実質的にレバノン全土を制圧する勢いでした。しかし、レバノンがPLOならびに急進改革派の支配下に置かれることで、レバノンとイスラエルの全面戦争が勃発し、戦禍が自国にも及ぶことを恐れたシリアが内戦への介入を決断。このため1976年6月、シリアは、レバノン大統領スレイマン・フランジェの要請に応えるかたちをとって派兵し、レバノン全土を制圧します。

 その後、1976年10月には、サウジアラビアとクウェートの仲介により、サウジアラビアの首都、リヤドで内戦終結のためのアラブ首脳会議が開催され、内戦の当事者間で停戦合意が成立。そして、この合意を受けて、シリアを主力とする停戦監視のための平和維持軍がレバノン全土に展開し、11月21日、レバノン政府は内戦の終結を宣言しました。

 しかし、シリア軍の駐留したレバノン南部(住民はシーア派系が多数を占めていた)は、当時すでに、PLOの実質的な支配下に置かれ、レバノン政府の影響力の及ばない治外法権地域の様相を呈していました。こうした状況に加え、強硬な反イスラエル姿勢を鮮明にしていたシリアがこの地に駐留したことで、イスラエル北部での軍事的緊張はいやが上にも高まることになります。実際、この時期のPLOは、シリアの擁護を受けてイスラエル北部への攻撃を展開していました。

 このため、1978年3月、イスラエル軍はレバノン南部に侵攻。リタニ川まで攻め込み、その南に「安全保障地帯」を設置します。

 その後、レバノンの国内情勢は一時的に安定したものの、1981年ごろから、ベイルート=ダマスカス間の街道を護衛する目的で配置されていたシリア軍が、キリスト教マロン派政党で親イスラエルの姿勢を鮮明にしていたファランヘ党の支配地域への攻撃を行ったことで、紛争が再燃。ファランへ党はイスラエル軍に救援を求め、シリアとイスラエルの緊張が高まりました。

 これに対して、レバノン南部を実質的に支配していたPLOは、イスラエル北部に対する越境攻撃を本格化させるようになります。当然、イスラエルは、PLOの攻撃に対して報復し、ベイルートのPLO本部を含むレバノン領内のPLO施設に対する空爆攻撃が行われました。

 エジプト=イスラエルの和平成立により中東情勢が安定すると考えていた米国は、このようなレバノンでの戦火拡大に懸念を抱き、1981年7月、フィリップ・ハビブを特使として派遣。サウジアラビアとともにイスラエルとPLOの停戦を仲介したものの、この停戦合意はすぐに破綻します。

 こうした状況の中で、イスラエルはレバノン南部に点在するPLOの拠点を潰滅させ、彼らの対イスラエル攻撃を断念させるべく、「ガリラヤの平和」と称する軍事侵攻作戦を策定。1982年6月、PLO関係者によるイギリス駐在のイスラエル大使暗殺未遂事件の報復としてレバノンに侵攻し、7週間にわたってベイルートを包囲しました。

 こうして、レバノン内戦はレバノン戦争ともいうべき段階に突入したが、イスラエルとの全面戦争を恐れる他のアラブ諸国から、レバノンへの援軍は派遣されませんでした。

 イスラエルのレバノン侵攻は、エジプトとの南部戦線の和平によって生じた余力をイスラエルが北部戦線へ振り分けたものだったわけですが、イスラエル軍とともにベイルート攻撃に参加したファランヘ党民兵による、一般ムスリム(その多くはPLOと無関係です)の大量虐殺事件が明るみに出たことで、ガリラヤの平和作戦には国際社会から厳しい非難が浴びせられることになります。

 こうした状況に対して、レバノン国内のムスリム勢力は次第にPLOとは距離を置くようになり、イスラエル軍の侵攻を招いた原因となっているPLOの国外退去を求めるようになっていきました。

 結局、1982年7月、PLO議長のアラファトは、元レバノン首相サエブ・サラムをはじめとするスンナ派ムスリムの指導者の要求を受け入れてPLOのレバノンからの撤退を決定。平和維持部隊として派遣されたフランスの部隊が援護するなか、8月30日、アラファトがアテネに向けて出航したのを最後に、PLOはベイルートを完全に撤退してテュニスへと移転し、レバノンでのPLOの影響力は壊滅しました。そして、米仏伊の多国籍軍が、パレスチナ人ならびにムスリム市民保護のためベイルートに展開したほか、レバノン南部はイスラエルの占領下に置かれました。

 PLOをレバノンから撤退させたことで、イスラエルのレバノン侵攻作戦は所期の目的を達したかのようにおもわれました。特に、PLOの駐留を地元住民が疎んじていたことから、彼らは、自分たちが“解放軍”として迎えられるのではないかとさえ考えていたようです。

 しかし、占領者は誰であろうとも占領者でしかなく、レバノン住民は新たな占領者に対する抵抗運動を展開することになります。

 すなわち、レバノンの平和維持活動に関与していた米仏両国は、PLO撤退後のレバノン新政権の大統領に選出されたバシール・ジェマイエルを支援してレバノン国内の正常化をはかりましたが、レジスタンス勢力は彼らをも招かれざる外部勢力として抵抗したのです。

 こうした状況の下で、イスラエルは、レバノンを親イスラエル国家にしようという思惑から、1982年8月23日の大統領選挙では、反シリア・親イスラエルの立場を鮮明にしていたバシール・ジェマイエル(ファランヘ党)を支援。バシールを当選させることに成功しました。

 しかし、1982年9月22日、ジェマイエルは大統領就任を目前にして爆弾テロで暗殺されてしまいます。イスラエルはこれをPLO残党の犯行とみなし(現在では、真犯人はシリア社会主義民族党のメンバーだったとみられています)、“レバノン軍団”(ジェマイエルが組織したマロン派民兵組織)はパレスチナ人への報復を決意。1982年9月16日午後6時、イスラエル国防軍はレバノンのサブラーとシャティーラにあったパレスチナ難民キャンプへ向けて照明弾を発射したのを合図としてレバノン軍団の民兵たちが一斉にキャンプに突入し、2日間で少なくとも762人(最大で3500人)のパレスチナ難民が虐殺されました。

 これが、いわゆる“サブラー・シャティーラ事件”です。

 事件は国際社会に大きな衝撃を与え、1982年12月16日の国連総会は、事件をジェノサイドとして非難する決議を123ヵ国の賛成多数(米、英、イスラエル、カナダは棄権。反対はなし)で可決。当時のイスラエル国防相アリエル・シャロンと参謀総長ラファエル・エイタンが引責辞任に追い込まれました。

 今回ご紹介の切手は、事件から1周年にあたる1983年9月20日に寄附金つきで発行されたもので、事件で犠牲になったパレスチナ難民の多くがアラブのムスリムであったということを踏まえて、岩のドームもしっかりと描かれています。

 なお、この切手が発行されてからおよそ1ヵ月後の1983年10月23日、レバノンではシーア派組織のヒズブッラーによる“殉教作戦”という名の自爆テロが開始され、レバノン内戦は新たな局面に突入することになるのですが、そのあたりについては、いずれ別の機会にご説明したいと思います。
 

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