内藤陽介 Yosuke NAITO
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 終戦と軍国切手
2016-07-28 Thu 20:18
 ご報告が大変遅くなりましたが、雑誌『丸』2016年8月号が先月、発行されました。同誌には、僕も終戦特集の企画で「終戦と軍国切手」と題する文章を寄稿しています。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       追放切手最終日使用例

 これは、いわゆる追放切手の使用期限となった1947年8月31日、翌日から使用禁止となる楠公銅像の2銭葉書に、7種類・6図案の追放切手(八紘基柱東郷元帥乃木大将、楯と桜、戦闘機・飛燕、靖国神社)を貼って差し出した記念品です。

 敗戦後の占領下、GHQは1946年5月13日付で、「日本郵便切手及通貨ノ図案ニ就テノ禁止事項ニ関スル件」と題する指令AG第311・14号を発し、これにより、靖国神社の1円切手勅額切手等が使用禁止となりました。しかし、それらの例外を除き、一般の国民は、敗戦以前に発行された軍国調の切手を引き続き郵便に使い続けていました。

 一方、1946年8月1日には、GHQの“指導”の下、国名表示を戦前の“大日本帝國郵便”から“日本郵便”に変更し、“民主図案”を採用した新普通切手の第1号として、北斎の「山下白雨」をとりあげた1円切手が発行されます。以後、“民主図案”の新昭和切手が徐々に発行されていくわけですが、物資不足の深刻な時代だったこともあり、昭和22年に「日本国憲法」が施行された後も、“大日本帝国郵便”と表示された切手の使用は続いていました。

 しかし、ある偶然の出来事から、これらの切手もついに使用禁止に追い込まれてしまいます。

 それは、1947年5-6月頃のことでした。

 当時、GHQ最高司令官、ダグラス・マッカーサーの元には、毎日夥しい量の郵便物が届けられていましたが、その一通に、1942年に発行された“大東亜共栄圏”の地図を描いた10銭切手の貼られた封筒がありました。

 切手の図案は1942年の日本の勢力圏の地図ですから、そこには、当然のことながら、日本の占領下にあったフィリピンも含まれていたわけですが、そのことに気が付いたマッカーサーは激怒します。

 ウェストポイントの陸軍士官学校を開校以来の成績で卒業し、米陸軍の出世街道を驀進して、1930年に米陸軍史上最年少の50歳で参謀総長に就任したマッカーサーにとって、太平洋戦争緒戦でのフィリピンからの撤退は、輝かしい軍歴のただ一つの汚点でした。(後に、朝鮮戦争で中国人民志願軍の攻勢を受けて退却を余儀なくされたり、大統領のトルーマンと対立して司令官を解任されたりする運命が待ち受けていることを、この時点のマッカーサーが知る由もありませんので…)

 “アイ・シャル・リターン”を合言葉に対日戦を勝利に導き、日本占領の最高司令官として君臨することになったからこそ、日本人の側から、フィリピンでの敗北を想起させるものを彼の前に提示することはタブー中のタブーだったのです。

 マッカーサーの怒りは、大東亜共栄圏の切手を貼って郵便を送ってきた差出人よりも、そうした切手を依然として流通させている日本政府に向けられます。

 さっそく、逓信省の関係者がGHQに呼びつけられ、昭和21年5月13日付指令の第1項に該当する切手、すなわち、軍国主義、超国家主義、国家神道、旧植民地の風景を題材とした切手が、新憲法の施行後も使用されているのはおかしいではないかとの厳しい叱責を受けました。

 その背後にマッカーサー本人の意向を感じ取った逓信省は、6月29日、該当するすべての切手・葉書の発売停止を全国の郵便局に指示しました。いわゆる“追放切手”です。その対象となった図案の切手は以下の通りでした。

 乃木希典大将(2銭切手)
 楯と桜(3銭切手)
 東郷平八郎元帥(4銭切手、5銭切手、7銭切手)
 八紘基柱(4銭切手)
 戦闘機・飛燕(5銭切手)
 台湾・鵞鑾鼻燈台(6銭切手・40銭切手)
 産業戦士(6銭切手)
 朝鮮・金剛山(7銭切手)
 明治神宮(8銭切手)
 日光東照宮陽明門(10銭切手)
 大東亜共栄圏地図(10銭切手)
 筥崎宮の勅額(10銭切手)
 航研機(12銭切手)
 春日大社(14銭切手)
 少年航空兵(15銭切手)
 靖国神社(17銭切手、27銭切手/別図案の1円切手)
 厳島神社(30銭切手)
 藤原鎌足(5円切手)
 楠公銅像(1銭5厘葉書、2銭葉書、3銭葉書、5銭葉書)

 追放切手とされたもののうち、日光東照宮や春日大社、厳島神社などは、国家神道とは直接無関係であり、単に日本を代表する文化財、歴史的建造物でしかないのですが、昭和21年5月13日付指令では「神道神社或ハ神道ノ他ノ象徴ノ表現」が一括して規制の対象となっているため、追放切手のリストに加えられたということなのでしょう。

 さらに、7月23日付の逓信省令では、1947年8月31日限りで、該当する切手・葉書に関しては、公衆手持ち分についても全面的に使用を禁止し、使用可能な切手と交換させることになりました。

 今回ご紹介の葉書は、こうした事情の下、当時の切手収集家が、使用禁止の“記念”として、差し出したものです。

 さて、今回の記事では、終戦前後の勅額切手騒動から、追放切手が使用禁止になるまでの顛末について、概論的にまとめています。機会がありましたら、ぜひ、雑誌の現物をお手にとってご覧いただけると幸いです。


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