内藤陽介 Yosuke NAITO
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 テニスの錦織が銅
2016-08-15 Mon 17:56
 リオデジャネイロ五輪10日目(現地時間14日)は、レスリング・グレコローマン男子59kg級で太田忍が銀、テニス・男子シングルスで錦織圭が銅のメダルを獲得しました。日本勢のメダルは、1920年のアントワープ五輪での熊谷一弥が男子シングルスで、熊谷と柏尾誠一郎組がダブルスでともに銀メダルを獲得して以来96年ぶりのことです。というわけで、 きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      フィリピン・極東選手権(テニス・1934)

 これは、1934年に米領時代のフィリピンで発行された第10回極東選手権大会の記念切手で、テニスが描かれています。

 極東選手権大会は、現在のアジア競技大会の前身で、1913年、“東洋オリンピック大会”の名の下にフィリピンで第1回の大会が開催されました。

 以後、日本・中国・フィリピンの3ヶ国が持ち回りで主催者となり、1927年の第8回までは、2年ごとの開催でした。その後は、オリンピックの中間年に行われることになり、第9回大会は1930年に東京で開催され、この大会からインドが参加国に加わりました。ついで、1934年にマニラで開催された第10回大会からはオランダ領東インド(現インドネシア)も参加しましたが、いわゆる日中戦争(支那事変)の影響で、1938年に予定されていた第11回大会は中止とされます。ちなみに、1940年に開催が予定されていた東京五輪の返上が決定されたのも1938年のことでした。

 以後、戦争の影響で中断されていたアジア諸国のスポーツ交流は、1948年、アジア競技連盟の結成により再開され、1951年3月、戦前の極東選手権大会に西アジア競技大会を統合するかたちで、第1回アジア競技大会がニューデリーで開催されました。このときの参加国は、アフガニスタン、ビルマ(現ミャンマー)、インド、フィリピン、セイロン、インドネシア、ネパール、タイ、シンガポール、イラン、日本の11ヶ国で、日本が優勝しています。

 ちなみに、1929-32年に米国のフィリピン総督を務めたドワイト・フィリー・デイヴィスは、1899-1901年にかけてテニスの全米選手権の男子ダブルスで3連覇、1901年にウィンブルドン選手権で男子ダブルス準優勝を果たした名選手で、男子テニスの国別対抗戦・デヴィスカップを創設したことでも知られています。

 後に、テニスを引退したデービスは、故郷のセントルイスで政治に関わるようになり、第一次大戦中は第69歩兵連隊の参謀長として従軍。フランスでの戦闘を評価されて、レジオンドヌール勲章を授与されました。大戦後は、ワシントンD.C.で戦時金融公社の取締役、陸軍次官補、陸軍長官を経て、フィリピン総督に就任しましたが、往年の名選手が総督として着任したことで、フィリピンでもテニスが本格的に行われるようになり、彼の退任後、今回ご紹介の切手が発行されることになりました。


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