内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:ルーマニア
2016-08-24 Wed 11:55
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年8月24日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はルーマニア(2回目)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・ブラン城(1929)

 これは、1929年に発行されたブラン城の切手です。

 “ドラキュラ城”と知られるブラン城は、ルーマニアのほぼ中央に位置するブラショヴの南西28km、ブチェジ山麓に位置しています。

 現在のブラン城の直接の起源は、1377年11月、ワラキア平原から侵入するオスマン帝国軍に備えて築かれた城塞で、14世紀末、ワラキア公ヴラド1世(ミルチャ老公)がここを居城としました。“吸血鬼ドラキュラ”のモデルとされるヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)は、その孫です。

 1462年、ヴラド3世はワラキアに侵入したオスマン帝国軍を撃退しましたが、捕虜や敵に対して木杭を肛門から口に抜けるまで差し込み、地面に突き立てて野ざらしにする串刺し刑を容赦なく行い、“串刺し”を意味する“ツェペシュ”の名で恐れられました。その一方、ヴラド3世は、父のヴラド2世が神聖ローマ帝国から龍騎士団の騎士に叙任され、龍(ドラコ)にちなんだ“ドラクル”を名乗っていました。

 これらのエピソードをつなぎ合わせて、1897年、アイルランドの作家ブラム・ストーカーは小説『吸血鬼ドラキュラ』を発表し、ブラン城を主人公ドラキュラ伯爵の居城と設定したのです。ただし、歴史的事実をいえば、ヴラド3世は、ハンガリー王の招きにより、この城に数日間、滞在した可能性は高いのですが、決してここに住んでいたわけではありません。

 その後、ブラン城はハンガリー王の所有になっていましたが、1513年、クローンシュタット市(現ブラショヴ市)が城の所有権を獲得します。

 1918年、第一次大戦の戦勝国となったルーマニアは、オーストリア=ハンガリーの支配からトランシルヴァニアを奪還し、悲願の“大ルーマニア”を実現しました。これに伴い、クローンシュタットはブラショヴと改称され、同市はルーマニア王室に城を寄進。以後、ブラン城は王妃マリアが手を入れて王室の離宮の一つとして利用されました。当然、城の内部も王妃好みに改修され、現在の姿になっています。

 1944年以降、ブラン城は国王カロル2世の妹、イレアナの居城となりましたが、第二次大戦後の1947年、ルーマニアの王制は崩壊し、共産主義政権が発足すると、ブラン城は共産党政権に接収されてしまいました。

 共産党支配下のルーマニアでは、その独自の民族主義路線ゆえに、小説としてのドラキュラのイメージをヴラド3世と混同することはタブー視され、小説『ドラキュラ』は発禁とされます。その一方で、オスマン帝国と戦った民族の英雄であるヴラド3世は国民統合の象徴として最大限に活用され、彼にまつわる(とされた)ブラン城も、ルーマニア民族の誇るべき文化遺産として称揚されました。

 さらに、反対派を容赦なく串刺しの刑に処したというヴラド3世の恐怖政治は、同じく、反対派や不満分子を徹底的に弾圧していたチャウシェスクにとって格好のお手本でした。チャウシェスクが「ヴラドの恐怖支配のおかげでワラキアには犯罪者がいなかった。ヴラッドは社会革命の指導者である」と称賛していたというエピソードは、現在となってはブラックジョークでしかありません。

 さて、1989年、チャウシェスクの独裁政権は崩壊しましたが、その後を継いだルーマニア政府はブラン城を決して手放しませんでした。ドラキュラ城としてのイメージが世界的に定着しているブラン城は、民主化後のルーマニアに莫大な外貨をもたらす観光資源として、重要な意味を持っていたからです。

 じっさい、ルーマニア政府はストーカーの小説発表から100周年にあたる1997年を“ドラキュラ年”として、(歴史的事実とは異なるが)ブラン城はヴラド3世ゆかりの城であり、『吸血鬼ドラキュラ』の舞台であるとの観光キャンペーンを大々的に展開しています。

 ところが、2006年末、ルーマニア政府は、ルーマニア王家の末裔(イレアナ王女と、夫でハプスブルク家につながるトスカーナ大公家出身のアントンの子)でニューヨーク在住の建築家、ドミニク・フォン・ハプスブルクに3年間は博物館としての用途を変更できないという条件を付けて、返還しました。2007年、EUに加盟することになったルーマニアは、旧東欧共産圏の一員であった自分たちが、スラブ・ロシアよりも、ハプスブルク家のヨーロッパとの関係が深かったことを示すため、あえて、“フォン・ハプスブルク”にブラン城を返還するというパフォーマンスを行ったわけです。

 なお、2014年以降、城の現所有者たちは、高齢を理由に、ルーマニア政府に城の買い取りを求めて交渉を続けています。

 さて、『世界の切手コレクション』8月24日号の「世界の国々」では、ブラン城についてまとめた長文コラムのほか、ルーマニア人の心の故郷とされるプトナ寺院、プロイェシュティ油田、ヴラド3世の生家、カーサ・ヴラド・ドラクル2007年の欧州文化都市シビウ、ルーマニア・ワインの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。また、ルーマニアについては、機会がありましたら、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』も、ぜひ、ご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、本日(24日)発売の8月31日号でのメキシコ(2回目)の特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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