内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手の中の建設物:サンクトペテルブルクの冬宮
2006-07-15 Sat 23:37
 今日(といっても、日本時間では日付が変わった後ですが)からいよいよ、サンクトペテルブルク・サミットが開幕です。というわけで、10日付で発行の(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』で僕が連載している「切手の中の建設物」では、今月はサンクトペテルブルクで一番有名な建物の冬宮の切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

サンクトペテルブルクの冬宮

 サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝によって1703年5月に築かれた人工都市です。その後、ピョートル大帝が1711年から1712年にかけて建築した石造りの小さな宮殿は、1762年、イタリア人建築家フランチェスコ・ラストレリの設計の下、ロシア・バロックの精華として建て直されて、現在の姿になりました。冬宮との名は、ピョートル3世が愛人のヴォロンツォーヴァ伯爵夫人を連れてここに住むようになって以来、歴代皇帝が冬を過ごす宮殿となったことによるものです。

 その後、ピョートル3世を追放して王位についた女帝エカテリーナ2世は、王朝の威信を内外に示すため、1764年から宮殿の大改築に着手し、あわせて、冬宮の東側に自分専用の美術品のコレクション・ギャラリーを増築しました。このギャラリーは、フランス語で(ロシアの上流階級の間ではフランス語が日常的に使われていた)“隠れ家”を意味するエルミタージュと呼ばれていました。これが、現在のエルミタージュ美術館のルーツです。

 1917年の革命後、冬宮は臨時政府に接収され、旧貴族から没収した美術品を収めるエルミタージュ美術館の本館になり、都市の名前もサンクトペテルブルクからレニングラードへと改称されましたが、第二次大戦中のドイツ軍による“レニングラード”の包囲中も、エルミタージュは1日も休むことなくミュージアムとして業務を続けるなど、ロシア文化の中心として果たしてきた歴史的な役割は非常に大きいといえます。

 取り上げた切手は、1948年1月発行の“ドイツ軍によるレニングラード(ソ連時代のサンクトペテルブルグの呼称)包囲からの解放5周年”の記念切手の1枚で、1947年当時の街並みとして、ネヴァ川方面からみた冬宮が取り上げられています。切手の左上方、汚れのように見えるのは、実は紙の中に含まれている異物です。ナチス・ドイツとの死闘が終わって間もない時期、用紙の品質管理も十分に行われていなかった当時の事情が垣間見えるような1枚と言っても良いのかもしれません。
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