内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ファイターズが4年ぶり優勝
2016-09-29 Thu 11:15
 プロ野球のパシフィック・リーグは、北海道日本ハムファイターズが4年ぶりに優勝しました。というわけで、“戦士”にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アラリボイア  アラリボイア・銅像

 これは、1973年にブラジルで発行された大酋長アラリボイアの切手です。切手の右には、ニテロイ港にあるアラリボイアの銅像の写真を貼っておきました。銅像は半裸の姿ですが、切手では、そこに大酋長としての盛装の飾りをつけた姿になっています。

 16世紀前半、ブラジル沿岸部は、ポルトガル、フランス、オランダの各国が領土の争奪戦を展開していましたが、その過程で、1555年、フランスは先住民のタモイオ族と結んで、グアナバラ湾沖合の小島を占領します。

 一方、グアナバラ湾を挟んで現在のリオデジャネイロ市の対岸の地域は、ポルトガル人の来航以前から先住民の集落があった場所で、先住民のトゥピ語で“隠れた水(川、海、湾など)”を意味する“ニテロイ”と呼ばれていました。当時、ニテロイとその周辺はテミミノ族が支配しており、その大酋長は、トゥピ語で“獰猛なヘビ”を意味する“アラリボイア”の名で呼ばれていました。

 アラリボイアは、1564年以降、ポルトガルの軍人、エスタシオ・デ・サアと協力してフランス軍に抵抗。小山の上からフランスの動きを見張り、その動きを逐一ポルトガル軍に報告したほか、自らも戦闘に参加し、1567年、フランスを放逐します。ちなみに、この間の1565年3月、エスタシオ・デ・サアはグアナバラ湾に面した一角に橋頭保を築きましたが、これが、都市としてのリオデジャネイロのルーツになりました。

 フランスに対する勝利の後、ポルトガルはアラリボイアの功績を認め、マルチン・アフォンソ・デ・ソウザというポルトガル名とポルトガルの市民権、さらに毎年1万2000ヘアイスの年金を与えるとともに、彼をニテロイ一帯の執政官に任じ、1587年に彼が亡くなるまで、大酋長時代からの権利を保証しています。

 なお、1565年にリオデジャネイロ市が発足した頃の話については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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