内藤陽介 Yosuke NAITO
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 波斯
2016-10-06 Thu 19:26
 奈良文化財研究所は、きのう(5日)、1966年に平城京跡から発掘された8世紀中頃の木簡を改めて調査した結果、ペルシャを意味する“破斯(波斯と同音)”の名字を持つ“破斯清通”という人名と、“天平神護元年(765年)”という年号が書かれていたことが明らかになったと発表しました。というわけで、きょうは“波斯”がらみでこの切手です。(画像はクリックで確認されます)

      雪柳と海芋に波斯の壺

 これは、1983年1月24日に発行された近代美術シリーズ第15集のうち、児島善三郎の「雪柳と海芋に波斯の壺」を取り上げた1枚です。

 現在のイランの古名にあたる“ペルシャ”は、もともとは“騎馬の者”を意味する“パールス”にちなんだパールサ地方(現代イランのファールス地方)のことで、これがギリシャ語ではペルシスと呼ばれ、中国語では“ファンシー”と呼ばれて波斯の字があてられました。

 文献上の記録としては、唐代の629年に成立した『梁書』(502-557年に存在していた王朝、梁の歴史書)の列伝第四十八諸夷の中に“波斯国”が採りあげられており、これらの記録を通じて、日本にも波斯の情報が伝えられました。

 たとえば、『日本書紀』には、斉明6年(西暦660年)の秋七月の庚子の朔乙卯(旧暦7月16日)の条に「覩貨邏人乾豆波斯達阿、本土に帰らむと欲ひて、送使を求ぎ請して曰さく、『願はくは後に大国に朝らむ。所以に、妻を留めて表とす』とまうす。乃ち数十人と、西海之路に入りぬ。」として、日本にいた乾豆波斯なる人物が、一時帰国する際に、日本に再訪する意思を示すため、妻を日本に残して行ったとの記述があります。

 また、『続日本紀』巻第十二には、天平8(736)年の出来事として、「八月庚午、入唐副使従五位上中臣朝臣名代ら、唐の人三人、波斯一人を率ゐて拝朝す」、「十一月戊寅、天皇、朝に臨みたまふ…唐の人皇甫東朝・波斯人李密翳らに位を授くること差有り」として、8月23日に遣唐副使・従五位上の中臣朝臣名代らが、唐人3人・ペルシャ人1人を率いて、帰国の挨拶のため天皇に拝謁したこと、11月3日にペルシャ人の李密翳らに位階が授けられたこと、が記されています。ただし、ここで取り上げられているペルシャ人の李密翳がムスリム(イスラム教徒)であったか、あるいは、ムスリムによる征服活動を逃れて中国経由で亡命してきたゾロアスター教徒ないしはマニ教徒(もしくはその子孫)であったか、そのあたりは定かではありません。

 さらに、900年頃に成立したと推定される『竹取物語』には、かぐや姫が求婚の条件として阿部右大臣に火中に投じても燃えない「火鼠のかはぎぬ」を求める場面がありますが、この「火鼠のかはぎぬ」は中国の商人がペルシャなどから取り寄せていた石綿で織った布のことと考えられており、唐土・天竺のさらに西に波斯が存在するということは(少なくとも知識人・上流階級の間では)漠然と知られていたことが伺えます。

 ちなみに、国名としては、1935年3月21日、パフラヴィー朝のレザー・シャーが国名をペルシャからイランに変更した後も、なかなか新国名のイランは一般には定着しませんでした。このため、1959年、モハンマド・レザー・シャーはイランとペルシアは代替可能な名称とし、両者の併用を認めましたが、1979年のイスラム革命によって樹立されたイスラム共和国は国名を“イラン”に統一しています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「雪柳と海芋に波斯の壺」は、第二次大戦後の1956年に開催された第2回現代日本美術展に出品された作品ですので、正式な国名としてはイランの時代です。ただし、作品に描かれた壺は、左右対称の絵付けがエキゾチックな雰囲気を醸し出していますが、1935年に国名がイランと改称される以前に制作されたものなのか、それとも、同時代の新しいものなのかは、確認できませんでした。まぁ、作者の児島善三郎は明治生まれですから、やはり、カタカナのペルシャではなく(ましてやイランではなく)、伝統的な日本語の“波斯”が作品のタイトルとしては相応しいと考えたのかもしれません。

 なお、児島善三郎は、1893年、福岡市中島(現・博多区中洲中島町)生まれ。長崎医学専門学校(現・長崎大学医学部)を中退し、1913年に上京して本郷洋画研究所に入りました。1921年、第8回二科展に初入選し、翌1922年の二科展で二科賞を受賞。1925-28年に渡欧し、帰国後の第15回二科展に「立てるソニア」ほか滞欧作品22点を特別出品して翌1929年には二科会員となりましたが、1930年、二科会を脱退し独立美術協会を結成。1935年頃から、西洋人の模倣ではない“日本人の油絵”の確立を目指して奮闘し、1962年に亡くなるまで、画壇に大きな影響を与えました。


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