内藤陽介 Yosuke NAITO
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 神殿の丘とハラム・シャリーフ
2016-10-16 Sun 16:56
 イスラエルは、きのう(15日)までに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)がエルサレム旧市街のユダヤ教とイスラムの両方の聖地について、イスラエルがムスリムの礼拝を制限しているとの決議を採択しただけでなく、決議での聖地の名前がイスラム名の“ハラム・シャリーフ”とだけ記載され、ユダヤ名の“神殿の丘”が表記されなかったことに抗議して、ユネスコへの協力を一時停止すると表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・嘆きの壁(小型シート)

 これは、1979年3月26日、エジプトとの平和条約調印を記念してイスラエルが発行した記念の小型シートで、切手部分には嘆きの壁の割れ目に置かれた手紙が取り上げられています。

 神殿の丘もしくはハラム・シャリーフと呼ばれている場所は、もともとは自然の高台で、紀元前10世紀頃、ソロモン王がここにエルサレム神殿(第一神殿)を建造しました。第一神殿は、紀元前587年、バビロニアにより破壊されましたが、紀元前515年に再建されます。これが第二神殿で、紀元前19年頃、神殿はヘロデ王によって大幅に拡張され、周囲は壁に覆われました。この時の神殿の範囲が現在の“神殿の丘”になります。

 その後、紀元後70年、第二神殿はローマ帝国によるエルサレム攻囲戦によって破壊され、ヘロデ王時代の西壁の幅490m、高さ32m(うち、地上に現れている部分は幅57m、高さ19m)が残るのみとなります。これが、今回ご紹介の切手にも取り上げられた“嘆きの壁”です。なお、この壁に対して各国語で“嘆き”の形容詞が付けられているのは、神殿の破壊を嘆き悲しむため、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現したもので、ヘブライ語では“西の壁”と呼ばれています。

 132-135年のバル・コクバの乱(ユダヤ属州でのローマ帝国に対する反乱)の後、ユダヤ教徒は原則としてエルサレムへの立ち入りを禁止され、4世紀以降は1年に1日、例外的に立ち入りを認められるという状況が続いていました。これに対して、638年、いわゆるアラブの大征服の一環として、ムスリムがエルサレムを占領すると、ムスリムの支配下で、ローマ時代以来禁止されていたユダヤ教徒のエルサレムへの立入が認められるようになります。この結果、生活上の権利に一定の制約は設けられたものの、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、アブラハム以来の一神教の系譜に属する「啓典の民」として、この地でムスリムとともに共存していくことになりました。

 ところで、イスラムでは、エルサレムはメッカメディナに次ぐ第3の聖地とされており、691年には、アラブ系のウマイヤ朝によって、ムハンマドの天界飛翔伝説にちなむ聖なる石を包むように、“神殿の丘”の敷地内に岩のドームが建設されます。当時、メッカはウマイヤ朝の支配に異を唱えるイブン・ズバイルの一派により占領されており、ウマイヤ朝はメッカを回復できないという最悪の可能性も考慮して、ドームの建設を計画したといわれています。

 当然のことながら、“神殿の丘”はユダヤ教にとっての聖地でしたが、正統派のユダヤ教においては、世界の終末に救世主が現れて神殿を再建するまで、ユダヤ教徒は神殿跡に入ってはならないとの教義もあります。したがって、神殿の丘の敷地内にイスラムの聖地としてモスクが建造されても、少なくとも世界の終末までは、ユダヤ教徒にとって実質的なダメージはないというロジックが導き出されることになり、岩のドームを聖地とするムスリムと、嘆きの壁を聖地とするユダヤ教徒住み分けが可能となりました。

 その後、十字軍による侵略はあったものの、ラテン王国(キリスト教徒の占領軍が建国)の消滅後は、キリスト教側も聖地の奪還を断念。聖地への自由な通行権の確保と、現地キリスト教徒の保護を主要な関心とするようになり、エルサレムは三宗教共通の聖地(ただし、その具体的な場所は重ならない)として、ムスリムの支配者の下で、各宗教の信徒が共存する状況が20世紀に入るまで続くことになります。

 神殿の丘を含むエルサレムの旧市街は、英国によるパレスチナ委任統治の終了後、1948-67年にはヨルダンの支配下に置かれ、イスラエル国籍の保有者の立ち入りは禁止されていました。

 1967年の第三次中東戦争により、イスラエルはエルサレム旧市街を占領し、自国領への編入を宣言しましたが、その後も、神殿の丘の管理権はムスリムが維持しているため、敷地内でユダヤ教およびキリスト教の宗教儀式を行うことはできません。

 さて、今回のユネスコの決議は、エジプトやレバノンなどアラブ諸国が提案したもので、委員会を構成する58ヵ国のうち、24ヵ国が賛成、6カ国が反対、26ヵ国が棄権しています。たしかに、イスラエルが第三次中東戦争で占領したエルサレム旧市街から撤退しないことについて、イスラエルを非難するという議論は成り立ちうるのですが、その一方で、ユネスコの職掌である“文化”という観点からいえば、エルサレムが歴史的にユダヤ教・キリスト教・イスラムの3宗教の共通の聖地であることも事実なわけで、その意味では、聖地の名をイスラム名の“ハラム・シャリーフ”とだけ記載し、ユダヤ名の“神殿の丘”を無視するというのは、ユダヤ教徒に対する明らかな挑発行為と言ってよいでしょう。

 なお、今回の決議については、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長も不快感を表明し、「エルサレムの普遍的な価値とユネスコの世界遺産への登録理由は統合にある。それは対話への訴えであり、対立を意味しない」と述べています。決議は18日に行われるユネスコ執行委員会で採決にかけられ、全会一致で可決した場合は採択され、そうでない場合は継続審議となるので、実際には、採択の可能性は低いでしょう。ただ、いわゆる慰安婦問題や南京事件の例を持ち出すまでもなく、ユネスコや世界遺産が各国の政治・イデオロギー闘争の場に堕しているという現状を考えると、そろそろ、それらを全面的に見直すべき時期に来ているのではないかと思わずにはいられませんな。


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