内藤陽介 Yosuke NAITO
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 鬼に金棒 小野に鉄棒
2016-10-29 Sat 10:42
 きのう(28日)、平成28年度の文化勲章・文化功労者が発表され、文化功労者の1人に体操男子で黄金期の礎を築いた小野喬氏が選ばれました。スポーツの体操分野での文化功労者選出は初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      第16回国体(鉄棒)

 これは、1961年10月8日に発行された“第16回国民体育大会(以下、国体)”の記念切手のうち、男子の鉄棒を取り上げた1枚です。この鉄棒選手のモデルが、今回、文化功労者に選ばれた小野氏です。

 1961年の国体秋季大会は、秋田県内の各地を会場として、10月8-13日の日程で行われました。

 秋田県が国体の誘致に名乗りをあげたのは、1955年のことで、以来、秋田県よりも早く国体誘致の活動を開始していた新潟県との間で激しい誘致合戦が展開されています。

 当時、秋田県の財政は深刻な状況にあり、民間企業であれば破産に相当する財政再建団体に指定されていました。財政再建団体の指定を行うための「地方財政再建促進特別措置法」の施行は1955年のことでしたから、秋田県は同法の施行後ただちに財政再建団体の指定を受けていたことになります。

 また、当時の秋田県には、秋田市内に山王体育館やラグビー場はあったものの、それ以外には全国規模の大会を行うための正規の基準をクリアーしたものはありませんでした。さらに、国体競技種目のうち、ハンドボール、ウェイトリフティング、フェンシング、馬術、ホッケー、ヨットに関しては、県の競技団体が結成されていなかったほか、宿泊施設の収容力も、とうてい、国体参加者をカバーしうるものではありませんでした。

 したがって、秋田県国体の開催は、通常の感覚からすれば、明らかに無謀な計画でしたが、県側では1955年8月に国体誘致委員会(会長は秋田県知事の小畑勇二郎)を結成。県の体協関係者や市町村長らを動員して強引な誘致運動を展開し、1954年10月24日の国体委員会で開催の決定を取り付けました。これは、東北初の単独開催であると同時に、赤字再建団体としての開催という前代未聞の事柄でした。

 無謀ともいえる国体の開催に秋田県側が執念を燃やしていた背景には、国体のもたらす莫大な社会的効果がありました。

 すなわち、秋田空港の開港をはじめ、道路網の整備や地方体育施設の建設といった大型土木プロジェクトが国体に合わせておこなわれたほか、県産品を広くアピールする機会がうまれたことで、地元では「(国体開催によって)秋田県は20年の遅れを一挙に取り戻した」との声もあったといわれています。

 とはいえ、赤字財政の中での大会であったため、開催の基本方針として“金のかからぬ質素な国体”ということが強調されました。“明るい国体”というスローガンの下、県民運動の一環として、県民の住居を関係者の宿泊先として提供する民泊が奨励されたのは、その典型的な事例といってよいでしょう。

 なお、大会の競技数は28、参加者数は1万4547名で、天皇杯・皇后杯はいずれも東京都が獲得。秋田県は天皇杯2位(前年は9位)、皇后杯4位(前年は10位)という好成績を収めています。

 記念切手に関しては、例年どおり、年初の1月23日に開かれた郵政審議会専門委員会で発行が決められていましたが、大会秋田県実行委員会会長(小畑勇二郎)名の発行陳情書が仙台郵政局長を通じて本省の郵務局長と郵政大臣(小金義照)宛に提出されたのは1月27日のことでした。

 切手の図案としては、4月10日、漕艇・鉄棒・ラグビー・射撃・バドミントン・ハンドボール・弓道・馬術等、地元の特色を活かしてほしいとの要望が小畑から出され、これに沿って、同月13日、男子の鉄棒と女子の漕艇(ただし、記念切手の対象となる秋季大会ではなく、夏季大会での競技であった)が取り上げられることが決まります。原画作者は

 このうち、鉄棒の図案は、「鬼に金棒、小野に鉄棒」とよばれた当時の日本体操界のエース、小野氏の演技写真を元に構成されましたが、これは、小野氏が地元・秋田県能代市の出身だったことによるものです。

 小野氏は1931年生まれ。東京教育大(現筑波大)在学中の1952年、ヘルシンキ五輪に出場し、1956年のメルボルン五輪の鉄棒で日本体操界初の金メダリストとなりました。その後も、1960年のローマ五輪、1964年の東京五輪に出場し、4大会で計13個のメダル(金5、銀4、銅4)のメダルを獲得し、日本体操界に一時代を築きました。1958年には、女子体操界のエースだった大泉清子(後、参議院議員、国家公安委員長)と結婚。東京五輪後の1965年、体操を中心とした総合スポーツクラブの先駆けとなる池上スポーツ普及クラブを夫婦で設立し、ソウル五輪代表の小西裕之らを育てるなど、指導者としても実績を上げました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む昭和時代の国体切手の詳細については、拙著『解説・戦後記念切手』(全7巻)でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
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