内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:トーゴ
2016-11-19 Sat 14:47
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年11月9日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はトーゴの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      独領トーゴ絵葉書(クラインポポ)  独領トーゴ加刷葉書

 これは、19世紀末の独領トーゴ時代のクライン・ポポ(現アネホ)ならびにロメ市内の風景を描いた絵ハガキと、その裏面(ドイツ本国の葉書にTogoの地名が加刷されています) です。
 
 ギニア湾岸のアネホには、早くからポルトガル人が寄港し、貿易と布教を行っていました。

 その後、フランスもこの地域に進出し、1626年と1767年、1865-83年には拠点を築き、ここを“プティ・ポポ”と命名(ただし、その後も現地語名のアネホの地名も併用されました)したが、定着はしませんでした。

 一方、英仏に遅れてアフリカに進出したドイツは、1847年、北ドイツ伝道会がプティ・ポポ/アネホでの布教活動を開始したのを皮切りに、1878年には、ブレーメン出身のフィーエトールがこの地で交易を開始します。彼らは地名をドイツ語の“クライン・ポポ”と改称。フランスが完全撤退する1883年までに、商館5軒を設け、英仏(両国合わせて商館は3件)を圧倒するプレゼンスを確保したうえで、1884年2月、ドイツ軍はアネホの首長に保護条約の調印を強要しました。

 また、1884年、ドイツ帝国の宰相ビスマルクは、医師で探検家のグスタフ・ナハティガルをギニア湾沿岸に派遣。ナハティガルは7月6日、ロメ(現在のトーゴの首都)に上陸してドイツ国旗を掲げ、周辺の海岸地帯の保護領化を宣言します。

 この宣言をめぐって、翌1885年12月、独仏間で協議が行われた結果、ロメとあわせてクライン・ポポを含む地域もドイツの保護領とすることが認められ、以後、ドイツは内陸部にも進出。1885年までに、現在のトーゴ国家とガーナ東部ヴォルタ川以東の地域を独領トーゴランドとしました。

 ドイツ領トーゴランドの成立に伴い、クライン・ポポはその首府となり、現在首都であるロメまでの鉄道が敷設されたほか、英領ゴールド・コースト(現ガーナ)のアクラから同ナイジェリアのラゴスを結ぶ、ギニア湾岸の主要都市をつなぐ幹線道路の経由地として、交通の要衝となりました。あわせて、独領トーゴランドの首府として、プロテスタント教会(1895年建設)や、カトリックの聖ペトロ聖パウロ教会(1898年建設)等も建設され、欧風の町並みが整備されていきます。

 しかし、海岸の浸食により港湾の状況が悪化したため、1897年、独当局は首府をクライン・ポポからロメに移転。これに伴い、倉オン・ポポは次第に衰退していきました。

 クライン・ポポ(アネホ)とロメはいずれも、ギニア湾岸に建設された都市でしたが、1897年のロメ遷都以降、ドイツは内陸部の開発を進め、1898年4月21日には、現在、トーゴ第2の都市となっているソコデが建設されます。

 また、交通インフラの整備も進み、1905年、ロメ=アネホ間にトーゴ最初の鉄道が開通。1907年にはロメから内陸・高原州のパリメまで鉄道が開通し、1911年にはさらに北方のアタクパメまで延伸します。さらに、1910年までに1000本の道路が建設され、独領トーゴランドのインフラは、一挙に、アフリカ大陸で最高水準となりました。

 経済発展に伴い、1895年にドイツ人31名、アフリカ系2084名だったロメの人口は、第一次大戦直前の1913年にはドイツ人194名(うち女性33名、子供14名)、アフリカ系7042名にまで急増。もちろん、ドイツによる開発事業に動員された現地住民には大きな負担が課せられましたが、列強の植民地支配下でアフリカ系の人口がこれほど急増した例はほかにはなく、英仏によるアフリカの植民地統治に比べると、ドイツのトーゴ統治が民生にもかなり配慮していたことがうかがえます。

 第一次大戦勃発直後の1914年8月、独領トーゴランドには西側からイギリスが、東側からフランスが侵入。防衛体制が未整備で、警察官が約670名しかいなかった独領トーゴランドは抵抗するすべもなく、首府ロメはすぐに陥落。8月26日、独領トーゴランドは英仏に降伏しました。

 1916年12月27日、独領トーゴランドは英仏によって分割占領され、大戦後のヴェルサイユ条約を経て、1922年7月10日、旧独領トーゴランドは正式に東西に分割されて消滅し、東トーゴランドをフランスが、西トーゴランドを英国が支配するようになります。

 その後、英仏、特に西トーゴランドを支配したフランスは、ドイツと違って、トーゴへのインフラ投資をほとんど行わなかったため、トーゴ経済は停滞し、人々の中には独領時代を懐かしむ者も少なからずいたそうです。ちなみに、1960年に西トーゴランドがフランスから独立し、現在のトーゴ共和国が発足した際、新政権は、独領時代最後のトーゴ総督であったメクレンブルク公アドルフ・フリードリヒを独立記念式典に招き、新生トーゴとドイツの友好をうたいあげています。

 さて、『世界の切手コレクション』11月9日号の「世界の国々」では、独領時代のトーゴについてまとめた長文コラムのほか、主要輸出品のカカオ、2006年のサッカーW杯、アネホのヴードゥー、ナドバ教会のフレスコ画の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、トーゴの次は、16日に発売された11月23日号でのベナンの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の23日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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