内藤陽介 Yosuke NAITO
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 安倍首相、真珠湾訪問
2016-12-28 Wed 12:09
 ハワイ訪問中の安倍晋三首相は、けさ(現地時間27日午前)、米国のオバマ大統領と共に日米開戦の発端地となった真珠湾を訪問し、慰霊の献花を行いました。戦後、日本の首相による真珠湾訪問は4人目、現職の米大統領とともに献花するのは初めてです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      真珠湾攻撃(吉岡堅二)

 これは、1943年12月8日に発行された“大東亜戦争記念報国葉書”のうち、吉岡堅二の戦争画「ハワイ眞珠灣強襲」を取り上げた1枚です。“大東亜戦争記念報国葉書”は、額面2銭の葉書を3種セット30銭で販売したもので、このうちの10銭が国防献金となっています。

 「ハワイ眞珠灣強襲」の作者、吉岡堅二は、1906年、東京市本郷区に日本画家・吉岡華堂の次男として生まれました。

 11歳の時に父を亡くし、当初は彫刻家を志したものの、画家に転じて、父と寺崎広業門で同門であった野田九浦の居仁洞画塾に入門して日本画の修業を積み、1912年に帝展初入選。1930年には帝展特選となりました。翌1931年の第1回独立美術協会展でのフォーヴ的な傾向に大きな刺激を受けて日本画の革新へと大きく転回し、1934年、福田豊四郎らと美術人社を結成。若手作家らによる昭和の日本画革新運動の中心的作家の一人として活躍しました。

 1937年に支那事変(日中戦争)が始まると、翌1938年9月から1939年1月まで、従軍画家として、大連-奉天-新京-哈爾賓-吉林-斉々哈爾-洮南-奉天-承徳(熱河)-北京-天津-済南-青島-上海-九江-安慶-蕪湖-南京-蘇州-上海-大連の順に各地を回り、この間、大連および新京の商工会議所で福田豊四郎との2人展開催しています。

 帰国後の1939年、日本大学芸術科学園美術科の日本画講師に就任し、中国での体験をもとに、同年4月の第五回煌土社展に「駱駝」、「雲崗石窟(素描)」、「雲崗石仏(素描)」、「閘北戦趾(素描)」を出品。また、同年、陸軍美術協会が設立されるとこれに参加し、7月に開催の聖戦美術展(陸軍美術協会、朝日新聞社共催)の審査員として、油彩画「爆撃用意」を出品しました。

 1941年に大日本航空美術協会(会長:堀丈夫中将)が結成されると、発起人としてこれに参加。同年7月の第2回聖戦美術展で審査員をつとめ、「雨中急迫」、「マレーの敵軍航空基地爆撃」を出品したほか、9月には第1回航空美術展の審査員をつとめ「群像」を出品。さらに、開戦直前の10-11月にはハノイ、サイゴン、ユエ、ハイフォンで開催された仏印巡回日本絵画展に「芙蓉」を出品しています。

 大東亜戦争開戦後は、1942年3月に東京・日本橋の三越百貨店で開催された日本画家報国会主催軍用機献納作品展に「雉子」を出品したほか、同年5-8月には陸軍作戦記録画制作のためジャワに派遣され、この間、小磯良平から油彩画の手ほどきを受けています。また、1944年12月からは台湾経由でマニラに派遣され、1945年2月3日の米軍のマニラ進入直前まで現地で調査・取材を続けました。

 この間、吉岡が現地体験を活かして制作した戦争絵画としては、「カリジャティ西方の爆撃」(1942年12月・第1回大東亜戦争美術展)、「猛追」(1943年・陸軍美術展)、「蘭印軍兵器参考図」(1943年・第6回新美術人協会展)、「小田軍曹機の体当り敢行よく船団を救う」(1944年・陸軍美術展)、「ブラカンマティ要塞の爆撃」(1944年・文部省主催戦時特別美術展覧会)、「(昭和19年度陸軍作戦記録画)高千穂降下部隊レイテ敵飛行場を攻撃す」(1945年・戦争記録画展)などがあります。

 また、1939-44年に靖国神社の春・秋の大祭ごとに制作した『靖国の絵巻』にも、「 峻嶮難行(ニューギニア) 南政善」(1943年春)、「敵拠点を衝く(ニューギニア)」(同)、「陸鷲のダーウイン初爆撃」(1943年秋)、「北千島に敵の反攻粉砕」(1944年春)、「印度洋上死の船団掩護」(1944年秋)等が収められています。

 しかしながら、今回ご紹介の葉書に取り上げられた「ハワイ真珠湾強襲」は、彼の業績としてリストに挙げられることはほとんどありません。純粋に、絵画としての完成度としては、上述の作品に比べると劣るということなのかもしれませんが、我々収集家としては、ちょっと残念ですな。

 さて、戦後の吉岡は、1948年に福田豊四郎、山本丘人、上村松篁らと反官展を表明する創造美術を設立。1959年には東京芸術大学教授に就任し、1971年、日本芸術院賞を受賞。また戦前期の法隆寺金堂壁画模写事業および戦後の壁画再現事業にも従事しました。1990年没。

 戦後の代表作としては「楽苑」(1950年・第3回創造美術展 芸能選奨文部大臣賞)、「鳥碑」(1970年・第34回新制作展 日本芸術院賞)などがあります。なお、吉岡は、魚介シリーズの「うなぎ」の原画も制作していますが、今回ご紹介の絵葉書の「ハワイ眞珠灣強襲」と「うなぎ」の作者が同一人物だったとは、言われないと気付かない人も多いかもしれません。


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