内藤陽介 Yosuke NAITO
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 スエズ運河国有化50年
2006-07-26 Wed 00:16
 1956年7月26日にナセルがスエズ運河の国有化を宣言してから、ちょうど半世紀が過ぎました。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

スエズ運河国有化記念

 これは、運河の国有化を記念して、国有化宣言から2ヵ月後の1956年9月26日にエジプトが発行した記念切手です。 

 1952年のエジプト革命で発足したナセルの民族主義政権は、王制時代に事実上の宗主国であったイギリスの影響力を排除するため、1954年10月、スエズ運河地帯からイギリス軍を撤退させる協定を成立させ、1956年6月20日までに全イギリス兵を撤兵させました。もっとも、この段階では、ナセル政権は自立した近代国家を建設するという意味でイギリスの影響力を排除しようとしていたが、西側諸国と敵対することを望んでいたわけではありません。エジプトの経済的自立のための国家プロジェクト、アスワン・ハイダムの建設(ナイル川上流に巨大なダムと発電所を建設し、それを利用した灌漑により大規模な農地を開拓することが計画された)を遂行していくためには、米英両国と世界銀行の資金援助が不可欠だったからです。

 このため、イギリス軍の運河地帯からの撤退に際しては、運河の所有権は英仏両国を大株主とする国際スエズ運河株式会社が保有することとされ、運河の自由な航行を保障する国際協定(1888年10月締結)も引き続き有効であることも確認されていました。

 しかし、イギリス軍の運河地帯から撤兵すれば、エジプト軍がシナイ半島を北上するのではないかと恐れたイスラエルは、イギリスの撤兵を妨害すべくさまざまな破壊工作を展開。1955年2月には、イスラエル軍の攻撃によりエジプト軍兵士38名が犠牲になるという事件も発生します。そこで、イスラエルの脅威に対抗する必要から、軍の近代化を計ろうとしたエジプトは、アメリカをはじめとする西側諸国から最新兵器を購入しようとしたのですが、米英仏の3ヶ国は、中東への武器供与を制限する三国宣言を理由にこれを拒絶。このため、ナセルはソ連に接近し、1955年10月、チェコスロバキア経由での通商協定という名目で、綿花(エジプトの主力輸出品)とのバーター取引を成功させ、大量のソ連製兵器の獲得しました。

 しかし、アラブの盟主を自認するエジプトがソ連に接近することで、他のアラブ諸国もこれに追随するのではないかとの懸念を抱いたたアメリカは、これに強く反発。エジプトの封じ込めに乗り出します。その一環として、1956年7月19日、国務長官のジョン・フォレスター・ダレスがアスワン・ハイダム建設への資金援助の約束を突如撤回。イギリスと世界銀行も同様の声明をエジプトに対して発し、ナセルの悲願であったアスワン・ハイダムは、資金不足から中止の瀬戸際に追い込まれてしまいました。

 追い詰められたナセルは、7月26日(革命記念日)、年間一億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言。管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結してしまいました。これが、スエズ運河国有化のあらましです。

 今回ご紹介している、切手は、運河地帯の地図にタンカーを配したもので、スエズ運河国有化を記念する文言とあわせて、“航行の自由は保証される”旨の文言も入れられています。エジプトにしてみれば、運河の通行料収入を確保することが国有化の最大の目的なわけですから、国有化後も従来どおり、各国の船舶に運河を利用してもらうためにも、こういう文言を切手に盛り込んだものと思われます。

 その後、スエズ運河の国有化に激怒した英仏は、エジプトによるチラン海峡の封鎖で経済的なダメージを受けていたイスラエルと同調し、武力による運河国有化を阻止しようとして、切手発行の翌月にあたる1956年10月、第二次中東戦争(スエズ戦争)を引き起こすことになるのですが、ここから先は、今年秋の開戦50年のときにでも記事を書くことにしましょう。
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