内藤陽介 Yosuke NAITO
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 わが最後の別れ
2016-12-30 Fri 17:06
 フィリピン独立運動の志士、ホセ・リサールが1896年12月30日に処刑されてから、きょうでちょうど120年です。というわけで、ただ単にリサールの肖像切手を持ってきても芸がないので、ちょっとひねってこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フィリピン・独立小型シート  フィリピン・独立小型シート(部分拡大)

 これは、1943年10月1日、日本占領下でフィリピン第2共和国が独立したことを記念して、同月14日に発行された独立記念切手の小型シートです。小型シートは3種の記念切手を収めていますが、切手の下に、リサールの辞世の詩として有名な「わが最後の別れ(MI ULTIMO ADIOS)」の手稿の一節(右側にその部分を拡大した画像を貼っておきます)が印刷されているのがミソです。

 リサールは、1861年6月19日、スペイン領時代のルソン島カランバで生まれました。幼少時から神童の誉れ高く、1877年、16歳にしてマニラのアテネオ学院(現アテネオ・デ・マニラ大学)に入学して農学を学び、さらに同校で土地測量の技術を学びつつ、サント・トマス大学で医学を学びました。また、在学中の1879年にはスペイン語の詩のコンテストで最優秀賞を獲得しています。

 1881年にアテネオ・デ・マニラ専門学校を卒業、翌1882年にサント・トマス大学医学部を修了した後、宗主国スペインの国立マドリード大学医学部および哲文学部の両学部に入学。1885年、マドリード大学の哲文学博士と医学士の号を取得した後、フランス、ドイツの各大学でも学び、ドイツ滞在中の1887年、ベルリンで小説『ノリ・メ・タンヘレ(私に触れるな)』を出版し、同年8月、フィリピンに帰国しました。

 帰国後のリサールは、故郷のカランバで医者として働いていましたが、ドイツで出版した『ノリ・メ・タンヘレ』がスペイン修道会の怒りを買い、再び“留学”の名目で日本、米国経由でヨーロッパに逃れました。

 1891年には帰国しようとしたものの、スペイン当局は彼の帰国を認めなかったため、香港で眼科医を開業したものの、望郷の念発ちがたく、1892年6月に帰国。帰国後は、スペインの統治を認めたうえで、穏健な改革を求める“フィリピン同盟”を結成しましたが、これを危険視したスペイン当局は彼を逮捕し、ミンダナオ島のダピタンへ流刑としました。

 1896年7月、刑期の満了後、彼は軍医としてスペイン海軍の巡洋艦「カスティリア号」に乗り込み、スペイン領キューバへ向かいましたが、船が地中海に入ったところで、フィリピンで“1896年革命”が勃発したことから、革命への関与を疑われて逮捕され、マニラへ移送の後、同年12月26日、軍法会議で銃殺刑の判決を受け、30日に処刑されました。享年35歳。その死は多くの人々に衝撃を与え、1898年に成立したフィリピン第1共和国大統領のエミリオ・アギナルドは、リサールが処刑された12月30日を“リサールの日”に指定。現在でも、この日はフィリピンの祭日となっています。

 処刑前日の1896年12月29日、獄中のリサールの元へ、彼の母親と2人の妹、2人の甥が面会に訪れ、アルコールストーブを託されます。そのストーブの中には、2枚の紙に無記名・無題、日付のない詩が書かれたメモが入っていました。この詩は、リサール処刑後の1897年、「わが最後の別れ」との題名とをつけて香港で発表され、国際的に広く知られるようになりました。

 「わが最後の別れ」は、「さようなら、愛する祖国、懐かしい太陽の地よ(Adiós, Patria adorada, región del sol querida)」の一節で始まる長編詩で、小型シートには、詩の第4連部分のリサールの手稿が取り上げられています。

 Mis sueños cuando apenas muchacho adolescente,
 Mis sueños cuando joven ya lleno de vigor,
 Fueron el verte un día, joya del Mar de oriente,
 Secos los negros ojos, alta la tersa frente,
 Sin ceño, sin arrugas, sin manchas de rubor.

 ちなみに、「わが最後の別れ」の日本語訳としては、リサールの生誕100周年にあたる1961年、加瀬正治郎が「ホセ・リサール/一八九六」の邦題で発表したものが有名で、小型シートに引用されている部分は、加瀬訳だと以下のようになっています。

 私は夢みた はじめて生命のひらかれたとき
 私は夢みた 若き日の希望に胸の高鳴ったとき
 おお 東の海の宝石よ きみの晴れやかな顔をみる日を
 憂愁と悲しみよりとき放たれて
 きみの顔にかげはなく きみの眼に涙のない日を


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