内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 アウシュヴィッツ訪問者最多に
2017-01-03 Tue 11:49
 アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館は、きのう(2日)、昨年(2016年)の訪問者数が前年より約33万人増えて約205万人となり、過去最多を更新したと発表しました。これは、昨年7月、近隣のクラクフで“ワールド・ユースデー”が開かれ、これに合わせて教皇が強制収容所跡を訪問されたことを受け、ワールド・ユースデイの参加者の多くが収容所跡も見学したことによるものです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・アウシュヴィッツ博物館開館(3ズウォチ)

 これは、1947年、ポーランドで発行された“オシフィエンチム(アウシュヴィッツのポーランド名)博物館開館”の記念葉書で、印面には収容所で殺害された収容者のイメージが、左下には収容所の監視塔が取り上げられています。

 共産党政権時代のポーランドの公式の歴史観によれば、戦後のポーランド国家は、ソ連によるナチス・ドイツからの解放を経て樹立されたものであり、それゆえ、ソ連と戦ったナチス・ドイツが“絶対悪”であるということが大前提となっていました。その反面、ナチス・ドイツの絶対悪の象徴とされるユダヤ人迫害については、単純にこれを批難すればよいというわけにも行かない事情が彼らにはありました。

 そもそも、1939年9月にドイツに占領される以前のポーランドには、推定340万人のユダヤ人が居住していました。これに対して、ポーランド全土が解放された後の1945年5月16日の時点で、ポーランド国内で生存が確認されていたユダヤ人は7万4000人。その後、領土の変更に伴う移住や終戦に伴う兵士・捕虜の復員などで、1946年6月末の時点で、ポーランド国内のユダヤ人口は25万5000人となりましたから、単純に考えると、帰国者は18万1000人という計算になります。ただし、戦前の340万人に比べると、25万5000人という数字はわずか7・5パーセントにすぎません。

 ところで、ユダヤ人の帰国が進行していくなかで、1945年6月、ジェシュフでユダヤ人の殺傷を含む反ユダヤ暴動(ポグロム)が発生。以後、ポーランド各地ではポグロムが頻発します。特に、1946年7月4日、ポーランド中心部のキェルツェで発生したポグロムでは、白昼、女性・子供を含む42人のユダヤ人が虐殺され、自分たちの生命・財産に対する物理的な恐怖を感じたユダヤ人はこぞって国外に脱出するようになります。

 戦後のポーランドでユダヤ人に対するポグロムが発生したベースには、戦前からポーランド社会に蔓延していた反ユダヤ主義的な風潮(たとえば、いわゆる“水晶の夜”事件は、一義的にはナチス・ドイツによる犯罪的な行為ですが、ポーランドによるユダヤ人の国籍剥奪と帰国拒否がきっかけになった面があったことは見逃せません)が、大戦を通じても、決して払拭されることがなかったということが挙げられます。

 じっさい、ポグロムの鎮圧を求める市民の声に対して「お前はユダヤ人を救いたいのか」と応じた警察幹部もいましたし、キェルツェでのポグロムの1週間後、ユダヤ人を殺害した犯人の一部に死刑判決が下されたというニュースを聞いたウッチ(ドイツ占領下でのリッツマンシュタット)の労働者は、実行犯の死刑判決に対する抗議のストライキを行っているほどです。(労働者たちは、ユダヤ人を殺しても罪に問われないと信じ込んでいたそうです。)

 さらに、こうした反ユダヤ感情に加えて、ドイツの占領下で強制収容所に追い立てられたユダヤ人の住居には、その後、近隣のポーランド人が住みついているケースも少なくありませんでしたから、そうした人々にとって、ユダヤ人の帰還は歓迎されざる事態だったわけです。

 いずれにせよ、ナチス・ドイツを打倒することで成立した(という建前の)親ソ政権にとっては、規模の大小こそあれ、本質的には彼らと変わらぬユダヤ人迫害・虐殺が国内で横行しているという事態は、ナチスが“絶対悪”であるという政権の正統性の根拠を根本から揺るがしかねないもので、ゆゆしき問題でした。

 こうした状況の中で、1946年5月25日、アウシュヴィッツ収容所の所長を務めていたヘスがワルシャワに移送され、ポーランド政府に身柄を引き渡されます。さらに、同年7月、キェルツェとクラクフで相次いでポグロムが発生すると、同月30日、ヘスはクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長だったアーモン・ゲートらとともにクラクフへ移送されました。

 その後、クラクフでヘスの裁判が進行していく中で、ポーランド政府は、(事実上の)共産主義政権としては例外的に、ユダヤ人の国外への移住に“寛容”な態度をとり、ユダヤ人の出国を促すようになります。国民の反ユダヤ感情の原因となっているユダヤ人の存在を、物理的に除去してしまおうというわけです。

 この結果、1947年2月までに、ソ連からの帰国者の大多数に相当する16万人のユダヤ人が国外に脱出し、ポーランドのユダヤ人口は9万2000人にまで激減しました。

 そのうえで、同年4月2日、ポーランド最高人民裁判所がヘスに死刑判決を下します。そして、同月16日、ヘスは自分が大量のユダヤ人を虐殺したオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)の地で絞首刑を執行されました。

 こうした前段階を経て、1947年6月14日、1940年にタルヌフからアウシュヴィッツに最初のポーランド系収容者が移送されてきた因縁の日を選んで、ナチスの蛮行を忘れないようにとの趣旨の下、旧収容所跡を国立博物館として保存することが正式に決定され、7月2日、博物館が開館します。今回ご紹介の葉書は、これに合わせて発行されたものです。

 このように、“民族的に統一されたポーランド”の政府は、反ユダヤ感情が国民の底流に流れ続けている中で、(ユダヤ人に対するホロコーストの象徴としての)アウシュヴィッツを糾弾するという矛盾に満ちた状況に、彼らなりの折り合いをつけようとしたわけですが、そのあたりの事情については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
スポンサーサイト

別窓 | ポーランド | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< 年賀状の切手 | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  世界漫郵記:泰国紀行①>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/