内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:ナミビア
2017-01-25 Wed 09:24
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年1月25日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はナミビアの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      南西アフリカ・ヘレロ人絵葉書  南西アフリカ・ヘレロ人絵葉書(裏面)

 これは、20世紀初頭のヘレロ人を取り上げた絵葉書で、1905年、いわゆるヘレロ戦争の際に、オカハンジャのドイツ軍野戦局からコブレンツ宛の軍事郵便として送られています。雑誌の記事ではスペースの関係で絵面だけしかお見せできませんでしたので、今回は裏面の画像も貼っておきました。

 牧畜を生業とするバントゥー系のヘレロ人が東方から現在のナミビアの領域に移住してきたのは17-18世紀のことと考えられています。

 現在のナミビア国家の領域には、1486年にポルトガル人が最初に来航しましたが、広大なナミブ砂漠が広がる過酷な環境ゆえ植民地の形成は遅れ、1793年になって、ようやく、当時、ケープ植民地を領有していたオランダがウォルビス湾の領有を宣言しました。その後、1795年、ウォルビス湾は英国が占領しましたが、内陸の開発はほとんど進みませんでした。

 このため、19世紀初頭、コイコイ系民族のナマ人(複数形ナマクア人)が南アフリカからナミビアの地に流入しましたが、この時点では、ヘレロ人、ナマ人などアフリカ系諸民族と西洋人の間にはほとんど摩擦は生じませんでした。

 一方、ナミビア内陸部に西洋人が本格的に訪れるようになったのは、1842年、ドイツ・ライン州のプロテスタント伝道会が布教活動を始めてからのことです。

 1858年、伝道会はナミビア各地の首長との間で“ワハナス平和条約”を締結し、ナミビアでの布教活動を本格化させることになりますが、先住民の反感と抵抗も根強かったため、1868年、伝道会はプロイセン議会に保護を求めます。当初、この要請は相手にされませんでしたが、1870年代に入り、英国の南アフリカへの進出が本格的に始まるなかで、1883年、ブレーメンの商人、アドルフ・リューデリッツが、大西洋沿岸のアングラ・ペクアナ(後のリューデリッツ・ブッフト)を支配していたベタニア族の首長ヨーゼフ・フレデリクスから入江の周囲5マイルの土地を購入。その契約書にある“5マイル”は、英マイル換算の1600mではなく、独マイル換算の7500mでしたが、リューデリッツの使者はフレデリクスにこれを英マイル換算と誤解させ、ベタニア族の土地の大半を無理やり購入しました。

 これを受けて、翌1884年4月24日、ドイツ帝国議会はリューデリッツの購入した土地を帝国の保護領とすることを決定。これが“ドイツ領南西アフリカ”の起源となります。

 ドイツ領南西アフリカが成立すると、ドイツ本国からはドイツ植民地の中でも最大規模の1万3000人が大挙して入植。一方、ドイツ人の急激な流入に危機感を抱いたナマ族の首長ヘンドリック・ウィットブーイは英国に接近しましたが、英国の反応は冷淡で、ドイツ人の侵入を食い止めることはできなませんでした。

 ドイツ人は金やダイヤモンド、銅などの鉱山と農地の開発に重点を置き、武力を背景に、鉄道用地や入植者の農園用地を半ば強制的に買い集めます。この結果、土地を失った先住民はドイツ人の下、劣悪な条件で酷使される労働者へと転落。さらに、1894年以降、ドイツ人は内陸の牧畜民であるヘレロ人の族の家畜に目をつけ、略奪を繰り返すようになりました。

 こうした状況の中で、1904年1月、ヘレロ人首長のサミュエル・マハレロは、配下の7000人を率いて武装蜂起し、ドイツ人入植者の農場と教会を襲撃し、ドイツ人の男女合わせて126名を殺害します。

 “反乱”鎮圧のため、ドイツ政府はフォン・トロータ将軍率いる1万5000のドイツ軍を派遣。8月のヴァーテルベルクの戦いでヘレロ軍主力を大破すると、その後も、攻撃を緩めることなく、1904年10月には全ヘレロ人の抹殺を宣言。砂漠地帯に追い込まれたヘレロ人の多くが餓死または井戸水による中毒死で命を落とし、1907年の反乱鎮圧までに、最終的なヘレロ人の死者は総人口の80%に相当する6万人にものぼりました。

 また、1905年10月にはナマ人がヘレロ人と同盟を結んで蜂起しましたが、こちらも鎮圧され、全人口の半数に相当する1万人が犠牲となっています。

 一連の“ヘレロ戦争”の先住民側の死者は膨大なもので、それゆえ、後に20世紀最初のジェノサイドとして歴史に記録されることになりました。

 ちなみに、ヘレロ戦争以前のヘレロ人は今回ご紹介の葉書に見られるように、ほとんど裸同然の衣服で生活していましたが、戦争の後、生き残ったヘレロ人はキリスト教と西洋式の生活を受け入れます。その結果、ヘレロ人の女性は、ヴィクトリア・スタイルを模し、カラフルな模様と足首までの長いスカートを着て、頭には牛の角をかたどった横長帽子を被るようになり、そのスタイルが現在に至るまで受け継がれています。

 さて、 『世界の切手コレクション』1月25日号の「世界の国々」では、ヘレロ人とヘレロ戦争についての長文コラムのほか、ウィントフック教会、ナミビア産ダイヤモンド、アフリカ最大の塩湖として知られるエトーシャ塩湖の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の2月1日号では、「世界の国々」はパラグアイを特集していますが、こちらについては、発行日の1日以降、このブログでもご紹介する予定です。 

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