内藤陽介 Yosuke NAITO
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 茨城県出身の横綱は何処?
2017-01-26 Thu 09:00
 日本相撲協会は、きのう(25日)、東京・両国国技館で臨時理事会と春場所の番付編成会議を開き、初場所で優勝し、横綱審議委員会から推薦された稀勢の里の第72代横綱昇進を正式に決めました。新横綱は2014年春場所後に昇進した鶴竜以来で、日本出身横綱の誕生は1998年夏場所後の若乃花以来、19年ぶりです。というわけで、稀勢の里と同じ、茨城県出身横綱に絡んでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      相撲絵・当時英雄取組

 これは、1978年11月11日に発行された相撲絵シリーズ第3集のうち、初代歌川国貞の「当時英雄取組の図」を取り上げた連刷切手です。

 「当時英雄取組の図」は、シリーズ第1集に取り上げられた「秀ノ山雷五郎土俵入の図」の作者、三代豊国が豊国を襲名する前の国貞時代の作品で、小野川喜三郎の引退以来およそ30年ぶりに誕生した横綱・阿武松緑之助と稲妻雷五郎を英雄として描いた3枚1組の錦絵です。このうち、切手には、能登国(現石川県)出身の阿武松と行司の木村庄之助の部分が取り上げられていますが、常陸国(現茨城県)出身の稲妻の部分はカットされています。ただし、稲妻はそのまま無視されたかというと、そういうわけではなく、切手の発行日に用いられた絵入りハト印(下の画像)に取り上げられています。

      相撲絵・第3集特印

 さて、阿武松緑之助は、1791年、能登国鳳至郡七海村(現・石川県鳳珠郡能都町)に生まれ、1805年に江戸に上り、武隈に入門しました。最初の四股名は小車で、1822年、小柳の四股名で入幕。次第に頭角を現して昇進を重ね、1827年、四股名を阿武松と改めました。谷風、小野川に続く3代目の横綱を免許されたのは、翌1828年のことです。1835年に引退するまでの幕内通算成績は140勝31敗24分8預かりでした。

 一方、稲妻雷五郎は、1795年、常陸国河内郡阿波崎村(現・茨城県稲敷市)に生まれ、1820年、巻の島の四股名で佐渡が嶽に入門しました。入幕は1824年の冬場所で、翌場所には小結に昇進。1830年に吉田家から横綱を免許されました。阿武松との対戦成績は4勝5敗5分1預かりと阿武松に1番負け越していますが、1839年に引退するまでの幕内通算成績は、130勝13敗14分3預かりで、勝率的には阿武松を圧倒しています。

 なお、稲妻を描く絵入りハト印の初日印指定局は福岡中央局でしたが、これは、切手発行の翌日が九州場所の初日だったためです。この時の九州場所では、全勝優勝した横綱の若乃花に、今回の切手の額入りのシートのほか、記念切手3年分があわせて贈られています。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を含む相撲絵シリーズについては、拙著『(解説・戦後記念切手Ⅴ)沖縄・高松塚の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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