内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:パラグアイ
2017-02-05 Sun 10:51
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年2月1日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はパラグアイの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パラグアイ・日系移民80年

 これは、2016年、日本人移民80周年を記念してパラグアイが発行した切手シートです。

 パラグアイへの日本人の制度的な移民は、1930年、わが国の在アルゼンチン特命全権公使がパラグアイのホセ・パトリシオ・グヒアリ政権から日本人のパラグアイ移住を歓迎するとの感触を得て、「パラグアイ拓殖計画」を日本政府に提出したのが出発点となります。

 当時の日本は経済力に比して人口が過剰で海外への移住が奨励されていましたが、南米に関しては、ペルーとブラジルへの移民が主流だったこともあり、1930年の時点では、パラグアイへの移民が真剣に検討されることはありませんでした。

 ところが、1934年、ブラジルではナショナリズムを強調するヴァルガス政権が「移民二分制限法」(新規の移民は、すでに定住している当該国人の2%を超えることが出来ないとする制度)を発令。このため、それまで年間2万人だった日本からブラジルへの移民枠は年間2500人にまで制限されました。そこで、ブラジルに代わる日本人の移民先として、パラグアイが注目されることになり、1935年、アヤラ政権は、日本人100家族に対して、パラグアイへの入国許可を出します。

 しかし、1936年2月17日、ラファエル・フランコ大佐のクーデターが発生し、アヤラは失脚。権力を掌握したフランコは、「日本人移民の入国許可は前政権が出したものであって、現政権はこれを認めない」として、日本からの移住計画を白紙にすると表明します。

 その結果、日本政府としては表だって準備が進められなくなったため、実際には拓務省がパラグアイへの移民準備を進めるものの、名目上は、ブラジル拓殖組合(ブラ拓)の専務理事であった宮坂国人が個人の名義で日本からの移民の入国許可申請の手続きを行い、入植地の購入を行うことになりました。ちなみに、今回ご紹介のシート左側の人物は、入植地選定のための調査を行った笠松尚一(2代目パラグアイ日本人会連合会会長)です。

 さて、宮坂は、1936年3月、首都アスンシオンから東南約130kmの地点にあるラ・コルメナ地区の1万1000ヘクタールの土地を入植地として選定するとともに、ブラ拓内にパラグアイ拓殖部(パラ拓)を設けて、体制を整え、時季を待つことになります。

 こうした敬意を経て、1936年4月30日、パラグアイ政府が大統領令第1026号をもって日本人移民100家族に対する受入許可を出すと、同年5月15日にはパラ拓スタッフが、6月にはブラジルからの指導移民が、それぞれ先遣隊としてラ・コルメナに入り、8月、日本から到着した最初のパラグアイ移民を迎えました。

 1941年の日米開戦に伴い、パラグアイは日独伊三国と国交を断絶。以後、ラ・コルメナへの入植者も途絶します。さらに、1945年にパラグアイが日本に宣戦布告をすると、ラ・コルメナ移住地は全パラグアイの日本人収容地となり、日本人の移住地以外への外出は制限されました。

 大戦後も、ラ・コルメナ移住地では1946-47年に大規模な蝗害が発生するなど入植者の苦難は続きましたが、移住者は徐々に増加し、移住地も他の地域に拡大していきます。

 1954年にクーデターで政権を掌握したアルフレド・ストロエスネルは、1989年まで35年の長きにわたり、強権的な開発独裁制作を続けましたが、彼は生年が明治天皇崩御の1912年、誕生日が旧明治節の11月3日ということから、みずからを“明治大帝の生まれ変わり”と信じていたことにくわえ、日系農家の生産性が高かったこともあって、親日的な傾向が強い人物でした。このため、ストロエスネル政権は、1959年に日本・パラグアイ移住協定に調印し、30年間に8万5000人の日本人移民の受け入れを約束。実際にはそこまで多くの移民は集まりませんでしたが、日本はパラグアイに対する援助を拡充し、日系移民の社会的な地位も大いに向上することになります。

 ちなみに、日本人移民の入植以前は、パラグアイでは小麦はほぼすべて輸入に頼っていましたが、日本人の農場で小麦が生産されるようになったことで、現在のパラグアイは小麦の輸出国になっています。また、1960年代に日系移民が始めた日本への大豆輸出は、現在ではパラグアイの主要輸出作物の一つに成長しており、2011年の東日本大震災後には「100万丁豆腐プロジェクト」として100万丁分の原料の大豆と製造加工費の日本への支援も行われています。

 さて、『世界の切手コレクション』2月1日号の「世界の国々」では、パラグアイにおける日系移民についての長文コラムに加え、特産品のひまわり、カアクペの聖母、チャコ戦争、フリージア帽を守るライオンの紋章切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、 「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のパラグアイの次は、8日に発売予定の2月15日号でのモルディヴの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の15日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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