内藤陽介 Yosuke NAITO
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 リオのカーニヴァル
2017-02-24 Fri 11:53
 ことし(2017年)のリオデジャネイロ(以下、リオ)のカーニヴァルのメインパレードが、きょう(24日・現地時間)から27日まで行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・国際観光年(カーニヴァル)

 これは、1967年11月22日、ブラジルで発行された“国際観光年”の切手で、“リオのカーニヴァル”が取り上げられています。(リオに限らず)カーニヴァルがブラジル切手の題材となったのは、これが最初でした。

 西方キリスト教会では、四旬節(復活祭の46日=日曜日を除く40日前)から復活祭前日までの期間は、イエス・キリストの受難を思って肉や卵などの食事制限を行うことから、その直前に肉に別れを告げる祭りが行われます。これが“謝肉祭”で、いわゆるカーニヴァルというカタカナの言葉は“carne vale(肉よさらば)”という表現に由来するものです。

 この断食の前の祝祭に、キリスト教伝来以前からのゲルマン人の春の到来を祝う祭りが融合し、街中を練り歩いたり、どんちゃん騒ぎをしたりする習慣になったと考えられています。

 この種の行事は、ポルトガル人入植者によってリオにももたらされましたが、リオのカーニヴァルの起源をどこに求めるかについては諸説があります。

 たとえば、1565年のリオデジャネイロ市の建設を記念して、1567年に人々が街を練り歩いたという記録が残されており、カーニヴァルの中心をパレードに求めるのなら、これが最古の例ともいえます。また、17世紀以降、遅くとも1723年までに、アゾレス諸島、マデイラ諸島、カーボ・ヴェルデからのポルトガル人移民が春祭りの“エントルード”を持ち込んだことをもって、リオのカーニヴァルの起源とされることも多いようです。

 エントルードというのはポルトガルの春祭りのことで、人々は仮面をつけ、通りで水や泥、柑橘類を投げ合うもので、じっさい、19世紀前半までのブラジルの街頭でのカーニヴァルは、“灰色の水曜日(カーニヴェル後の水曜日、すなわち、この日から四旬節が始まる日)”までの3日間、かつらや仮面をつけて、液体を掛け合ったり、小麦粉やタピオカ粉を投げつけあったりするのが、庶民の間では一般的なスタイルでした。

 一方、春祭りの時期のパレードとしては、1786年、前年(1785年)のポルトガル王ドン・ジョアン6世の結婚を祝って山車が作られたほか、1808年にポルトガル王家がナポレオン戦争の戦禍を逃れてブラジルに遷移してきた際に、ブラジル在住のポルトガル人たちが仮面をかぶり、派手な衣装をつけ音楽を鳴らして町中を練り歩き歓迎したことが、記録に残されています。

 こうした経緯を経て、1840年代になると、地元新聞社が主導して、かつてのローマやヴェネツィアに倣って、街の中で仮装をつけ、コンフェッテ(紙吹雪)をかけあう“カーニバル・パレード”の復活キャンペーンが始まりましたが、この時点では、カーニヴァルの音楽はゆっくりとしたマーチの“マルシャ”が主流です。ちなみに、音楽としてのサンバは、公式には、1916年12月16日に楽曲として登録された「電話で(Pelo Telephone)」(ギタリストのドゥンガとジャーナリストのマウロ・ヂ・アルメイダの作品)が最初の1曲とされています。「電話で」は、翌1917年の大ヒット曲となり、当時の舞踏音楽の最高の名誉として、翌1918年のカーニヴァルのテーマ曲の一つとなりますが、これが、サンバとカーニヴァルの最初の接点となりました。

 ところで、20世紀初頭、サンバとカーニヴァルが結び付く以前のリオでは、カーニヴァルの音楽はマルシャが中心で、パレードには公式には中流以上の白人しか参加が認められておらず、黒人や貧しい地域の人々は、自分たちで独自のグループを作り、カーニヴァルに勝手に参加していました。

 この小さなグループは“ブロコ”と呼ばれていますが、そうしたブロコが合併して規模を拡大していき、1928年以降、“エスコーラ・ヂ・サンバ”と呼ばれる巨大組織が生まれていくことになります。

 エスコーラというのは、本来、“学校”の意味ですが、この場合は、1928年にイズマエル・シルヴァらが組織した最初の団体の近くに学校があったため、冗談で“エスコーラ・ジ・サンバ・デイシャ・ファラール(Escola de Samba Deixa Falar=「言わせておけ」サンバ学校)”と名乗ったことに由来するもので、サンバの技能訓練施設という意味ではありません。

 さらに、1930年からは、カーニヴァルのパレードにコンテスト制度が導入され、5つのエスコーラが参加。これが好評だったため、1932年からはリオの大手スポーツ紙「ムンド・スポルチーヴォ」が、翌1933年からは大手紙の「ウ・グローボ」が、それぞれコンテストのスポンサーとなったことで、メディアを通じて、“リオのカーニヴァル”の注目度もあがり、優れた演出、楽曲が次々に誕生するという結果をもたらしました。

 こうして、ブラジルの他の地域に比べて“リオのカーニヴァル”が突出した存在になっていくと、ブラジル・ナショナリズムの高揚を目指していたヴァルガス政権の下、政治が介入し始めます。

 すなわち、1935年にはリオ市長のペドロ・エルネストが、コンテスト上位4位のエスコーラへの賞金の支給を開始。あわせて、出し物にテーマやナショナルイベントを選択させるようにしたことで、民族的なテーマを持った出し物が登場しました。

 さらに、1937年に権威主義的なエスタード・ノーヴォ体制がスタートすると、カーニヴァルのテーマにも“ブラジルらしさ”が強く求められるようになります。その際、サンバとカーニヴァルの組み合わせは、(当時の)ヨーロッパにはなかった“黒人”という要素を全面的に取り込んでいるものとして、ヨーロッパに対するブラジルの独自性や国家アイデンティティを強調するうえで格好の素材として認識されました。

 1939年のカーニヴァルで、白雪姫をテーマに参加しようとしたエスコーラが、“国際的にすぎる(=ブラジルらしくない)”との理由から、参加を却下されたのも、上記のようなヴァルガス政権のナショナリズムとサンバ・カーニヴァルの関係を端的に象徴していると言ってよいでしょう。

 もっとも、こうしてブラジルの象徴(の一つ)になっていった“リオのカーニヴァル”ですが、1945年までのエスタード・ノーヴォ体制下では、それでも卑俗にすぎるとして切手に取り上げられることはありませんでした。

 1964年、軍事クーデターによって、カステロ・ブランコ将軍を大統領とする軍事政権が誕生すると、軍事政権は、政治の腐敗を正し、国家転覆の危機を排除するとの名目で憲法を停止。政府に批判的な政治家を1万人以上、逮捕・追放する一方、親米反共の砦として米国の支援を受けることで権威主義的な開発独裁体制を維持しようとしました。

 1966年10月に布告された軍政令第2号では、大統領の間接選挙(投票は連邦議会議員と地方代表で構成される選挙人団は行う)既成政党の廃止が決定された。これを受けて、それまでの政党に代わって、旧政党は与党の国家革新同盟と野党のブラジル民主運動に再編され、大統領選挙では国家革新同盟の推すアウトゥール・ダ・コスタ・エ・シウヴァ将軍が当選。そして、コスタ・エ・シルヴァ大統領の就任直前の1967年1月、軍事政権はそれまでに布告された軍政令を取り込んだ新憲法を公布します。

 同憲法により、議会は形骸化し、大統領に戒厳令の施行や地方諸州への介入権が認められたほか、国名もそれまでのブラジル合衆国から現在のブラジル連邦共和国と改められました。

 これに対して、学生のデモや労働者の抗議集会、ストライキが頻発しただけでなく、リオデジャネイロやサンパウロでは、キューバ革命の影響を受けたカルロス・マリゲーラ率いる民族解放行動(ALN)や10月8日革命運動などが軍事政権の打倒を唱えて武装闘争を展開。こうした状況の中で、あらためて、“ブラジル国民”としての団結を強調する必要に迫られた軍事政権側は、かつてのエスタード・ノーヴォ体制がナショナリズム涵養の手段としてサッカーとサンバを奨励した先例に倣い、“リオのカーニヴァル”に注目し、国際観光年の切手の題材にも取り上げたというわけです。

 さらに、切手が発行された11月22日というタイミングが、12月2日の“サンバの日”の直前であることも見逃せません。“サンバの日”には、毎年、翌年2月前後に行われるサンバ・カーニヴァルの曲集が発売され、いよいよ、リオのみならず、ブラジル全体でサンバ気分が盛り上がってくる時期です。したがって、この時期にカーニヴァルの切手を発行することは、日常的に使われる切手を通じて、そうした雰囲気をいっそう盛り上げ、国民の関心をカーニヴァルに集中させようという政府の意図もうかがえます。

 なお、リオのカーニヴァルについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも1章を設けて取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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