内藤陽介 Yosuke NAITO
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 圏央道、茨城区間開通
2017-02-26 Sun 21:42
 首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の茨城県内区間が、きょう(26日)、開通。これにより、圏央道は常磐道や関越道など6つの高速道路とつながり、成田空港から神奈川県の湘南まで、都心を経由せずに高速道路で結ばれました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      つくば博・40円

 これは、1985年3月16日に発行された国際科学技術博覧会(つくば博)の記念切手のうち、テーマ館とシンボルタワーを取り上げた40円切手です。きょう開通した圏央道の茨城県内区間は境古河インターチェンジICとつくば中央ICの間の28.5kmですが、このうちのつくば中央ICと接続するサイエンス大通りは、つくば博の開催期間中、常磐自動車道の谷田部ICから、万博会場を直接結ぶメインアクセス道路として機能していました。

 高度経済成長に伴い、東京の過密状態を緩和させるための具体的な措置として、1963年9月、筑波山麓(現・つくば市および牛久市)に研究学園都市を建設する計画が決定され、1967年、6省庁36機関の移転が閣議了解されます。そして、1970年5月の筑波研究学園都市建設法の施行を機に都市建設と各機関の移転が進むことになりました。

 しかし、筑波研究学園都市には新たな庁舎等が建設され、各機関が移転はしたものの、当初は都市としてのインフラ整備は未整備のままの状態が続き、人口もなかなか増加しませんでした。そこで、新たな研究学園都市のお披露目とあわせて、東京から研究学園都市へのアクセスを改善し、あわせて国際会議場、宿泊施設等を建設する契機として、1977年、国際科学技術博覧会を開催する案が科学技術庁内で浮上。これに国土庁と建設省、通産省が賛意を示したことで、1978年から具体的なプランの検討が開始されます。

 科学技術庁以外の省庁がつくば博の開催に協力的だった背景には、1984年の冬季オリンピック大会の開催地として札幌市が有力視されていながら、最終段階でサライェヴォ市が開催地に決まったことから、東京より北の地域で大型公共事業を展開する契機が別途必要となったとの事情がありました。このため、当初の計画では、つくば博は1984年の開催予定とされていました。

 その後、地元との調整を経て、1978年9月30日、茨城県議会がつくば博誘致を決議。10月5日には筑波六町村が国際科学技術博誘致委員会を設置したほか、11月には国際科学技術博覧会開催促進議員連盟が発足し、当初のプランより一年おくらせて1985年のつくば博開催を目指す動きが本格化します。

 これに対して、大蔵省は、巨額の経費が必要な博覧会の実施に否定的な立場でしたが、科学技術庁の担当課長であった福島公夫が同年11月、博覧会国際事務局(BIE)のリード議長に直接接触し、つくば博の構想を相談して好感触を得ると、科学技術庁は、自民党国会議員の後押しもあって大蔵省との折衝で国際的科学技術博覧会調査費の名目での予算獲得に成功し、翌1979年3月、土光敏夫を会長とする国際科学技術博覧会推進協議会を発足させ、つくば博開催は実現に向けて大きく前進します。

 こうして、つくば博の開催は1979年11月27日に閣議で了解事項となり、翌28日のBIE総会において日本政府としての正式開催通告がなされたのを受け、1980年9月のBIE調査団が来日。1981年4月22日の総会での正式承認により、“人間・居住・環境と科学技術”(BIEに提出された“Dwellings and Surroundings ―Science and Technology for Man at Home”を日本語訳したもの)をテーマとする国際科学博覧会の開催が決まりました。

 今回ご紹介の記念切手は、つくば博会期初日の3月17日が日曜日だったため、前日16日に発行されました。図案となったテーマ館は、日本政府出展のパビリオンで、高さ42mの透明なタワー(郵政省が発表した図案説明では“シンボルタワー”)と左右に広がる2棟のガラス張りの建物です。内部では、「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに、13×20mのスクリーンを使っての日本の四季、国土の映像上映が行われたほか、譜面を見て演奏をするロボット“WASUBOT”やトマトとジャガイモを掛け合わせた“ポマト”などの展示が注目を集めました。切手の原画作者は清水隆志です。

 ちなみに、つくば万博のメイン会場は、Dブロックの跡地に“科学万博記念公園”が作られたほかは、工業団地(筑波西部工業団地)に転用され、切手に描かれたテーマ館も取り壊されましたが、科学万博記念公園内には、42mのシンボルタワーを4分の1に縮小した高さ10mの“科学の門”が建てられています。

 なお、つくば博関連の切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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