内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:ドミニカ国
2017-03-14 Tue 10:26
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』3月8日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はドミニカ国の特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ドミニカ国・バルバドス経由米宛  ドミニカ国・バルバドス経由米宛裏面

 これは、第二次大戦中の1944年1月(?)、英領ドミニカの首府、ロゾーからニューヨーク宛の書留便とその裏面で、バルバドス経由の迂回ルートで逓送されているのがミソです。

 1939年9月、ドイツのポーランド侵攻に対して、ポーランドの同盟国であった英仏は、それぞれ、ポーランドと結んでいた相互援助条約に基づいてドイツに宣戦を布告し、第二次欧州大戦が勃発します。

 大戦の勃発当初、カリブ海と大西洋の境界となっている小アンティル諸島のうち、英国の支配下にあった島々は、行政上、北部の英領リーワード諸島(東から西へと吹く貿易風の風下側)連邦と、南部の英領ウィンドワード諸島(貿易風の風上側)連邦に分割されており、ドミニカ島はリーワード諸島連邦の南端として位置付けられていました。

 また、海を隔ててドミニカ島の北隣には仏領グアドループが、南隣には仏領マルティニークがありましたが、1939年中は、英仏はともにドイツと戦う同盟関係にあったため、ドミニカ島は戦時下の緊張状態にはなく、同島と海外とを往来する郵便物も従前どおりの扱いでした。

 むしろ、当時の英国のドミニカ統治においては、1930年にカリブ族の大反乱が発生し、1936年には地方議会でアフリカ系の議員が全体の半数を占めるなど、民族主義の高揚の方が問題だと認識されていました。このため、1940年1月、英植民地当局は、民族主義の強かったリーワード諸島の枠組からドミニカ島を切り離し、情勢が安定していた英領ウィンドワード諸島の北端として行政上の帰属を変更し、植民地統治の安定をはかろうとします。

 一方、欧州戦線では、1940年6月、フランスがドイツに敗北。フランス本国ではフィリップ・ペタンを国家元首とする親独ヴィシー政権が成立しましたが、ドイツへの徹底抗戦を主張するド・ゴール派はロンドンに亡命政府の自由フランスを樹立し、仏領植民地も両派に分裂。こうした状況の中で、グアドループとマルティニークの仏領植民地政府はヴィシー政権支持の立場を取ったため、英領ドミニカ島は親独政権によって南北をはさまれることになり、情勢は一挙に緊迫化します。

 このため、戦況によっては、英領ドミニカから米国宛の郵便物の中には、北進してストレートに米国に運ばれるものだけではなく、南のバルバドスを経由する迂回ルートが取られることもありました。今回ご紹介のカバーはその一例で、裏面の着印をたどると、ロゾー(1944年月日不明)→バルバドス(1月30または31日)→ニューヨーク(2月16日着)というルートを取っていることがわかります。また、逓送途中で、英領当局および米当局によって開封・検閲を受けています。

 ヴィシー政権の支配下に置かれた仏領マルティニークとグアドループでは、フランス当局は従来以上に先住民に対して抑圧的な姿勢で臨んだため、“反対者(西インド諸島の仏領植民地でのド・ゴール派)”として、大戦中、数千人の先住民が英領ドミニカに逃れました。その中には、マルティニーク出身で、後にアルジェリア独立運動のイデオローグとなるフランツ・ファノンのように、自由フランス軍に加わってドイツと戦う者も少なくありませんでした。

 ドミニカ島は、ナポレオン戦争中の1805年に英国の領有権が確定するまでは、英仏の勢力角逐の場となっており、フランスによる支配も断続的に行われていたため、首府ロゾーを中心に、フランスの影響も色濃く残っていました。また、カリブ海の英領地域において奴隷制が廃止されたのが1834年だったのに対して、仏領地域での奴隷制廃止は10年以上も遅い1848年だったため、この間、マルティニークやグアドループからの逃亡奴隷が英領ドミニカに逃げ込む事例も少なからずあり、彼らの子孫を通じて、宗主国の違いを越えて、3地域の住民の間には交流がありました。

 こうしたことから、ドミニカ島の住民は、近隣仏領地域から逃れてきた“反対者”を積極的に支援するという状況が生まれたわけです。

 一方、ドミニカ島の宗主国、英国はドイツとの戦争の当事者でもあったから、英領ドミニカでも義勇兵の徴募が行われ、若者たちが英連邦軍の兵士として枢軸国と戦い、英国の勝利に貢献しました。ドイツとの戦争で亡くなったドミニカ島出身兵の名前は、ロゾーのヴィクトリア・ストリートにある戦没者慰霊碑に刻まれており、毎年、退役軍人や警察官、士官学校生らが行うパレードでは祖国の英雄として顕彰されています。

 さて、『世界の切手コレクション』3月8日号の「世界の国々」では、第二次大戦中の英領ドミニカについて扱った長文コラムに加え、1979年のハリケーン・デイヴィッドの際のカバー、ギムレットの材料として有名なドミニカ産ライム、世界最高齢とされた女性のエリザベス・イスラエル、先住民のカリブ人の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、 「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のドミニカ国の次は、あす(15日)発売の3月22日号での赤道ギニアの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の22日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


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