内藤陽介 Yosuke NAITO
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 きょう、ピュリッツァー賞授賞式
2017-04-10 Mon 11:44
 きょう(10日)は、ジョーゼフ・ピュリッツァーの誕生日(1847年)です。今年は、彼の生誕170周年にして、彼の冠した“ピュリッツアー賞”の第1回授賞式が1917年に行われてから100周年ということで、彼の誕生日にあたる今日、授賞式が行われるそうです。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ピュリッツァー生誕100年

 これは、1947年に発行されたピュリッツァー生誕100周年の切手で、彼の肖像と、自由の女神を背景に「我々の共和国と報道は一蓮托生だ」との彼の言葉が取り上げられています。

 ピュリッツァー賞にその名を留めるジョーゼフ・ピュリッツァーは、1847年4月10日、ハプスブルク帝国支配下のハンガリー南部のマコーで、ユダヤ人家庭に生まれました。南北戦争中の1864年、米国に移住し、北軍兵士としての従軍経験を経て、1868年、コロンビア大学を卒業します。

 その後、ミズーリ州セントルイスでドイツ語の日刊紙『ウェストリッヒ・ポスト』で働き始めるとともに、共和党に参加し、1869年にはミズーリ州議会議員に選出されました。

 ちなみに、現在でこそ、米国の民主党はマイノリティの権利を尊重するリベラル派というイメージが定着していますが、これは、20世紀のフランクリン・ローズヴェルト政権以降のことです。一方、共和党は、もともと、1854年に奴隷制反対を掲げ、南部を牙城とする民主党に対抗するために結成されたという経緯もあって、19世紀の時点では、民主党に比べると、人種間の平等という点でははるかにリベラルな立場を取っていました。

 さて、州議会議員としてセントルイスでの社会的な地歩を固めたピュリッツァーは、1872年、3000ドルで『ウェストリッヒ・ポスト』を買収。さらに、1878年には、ライバル紙の『セントルイス・ディスパッチ』を2700ドルで買収し、2紙を統合して『セントルイス・ポスト・ディスパッチ』を創刊し、セントルイスのメディアを牛耳る存在となります。

 ローカル紙で成功を収めたピュリッツァーは、全米制覇の足掛かりとして、“泥棒男爵”ことジェイ・グールドが所有していた『ニューヨーク・ワールド』(以下、『ワールド』)紙に目をつけます。当時、米国内の鉄道を盛んに買収していたグールドにとって、年間4万ドルの赤字を垂れ流していた『ワールド』の売却話は渡りに船でしたから、1883年、同紙は34万6000ドルでピュリッツァーに売却されました。

 『ワールド』を買収したピュリッツァーは、1833年に創刊の『ニューヨーク・サン』が大衆向けに犯罪報道や、自殺、死去、離婚といった個人的事件を報道して成功していたことに倣い、よりセンセーショナルなスキャンダル中心の編集方針を掲げます。彼の狙いは見事に当たり、1883年に1万5000部しかなかった『ワールド』の部数は、1885年には米国最大の60万部にまで急増しました。

 『ワールド』の躍進を支えた名物記者としては、1887年に入社した女性記者のネリー・ブライ(本名:エリザベス・ジェーン・コクラン。ユダヤ人ではなくアイルランド系)が有名です。彼女は、患者を装ってブラックウェル島の女性精神病院に潜入し、秘密を調査し暴露したほか、1888年にはジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』をモデルとして実際に世界一周リポートを行うなど、当時としては斬新な企画で多くの読者を獲得しました。

 米国一の新聞王となったピュリッツァーは、1892年、母校のコロンビア大学に世界初のジャーナリズム・スクールを設立する資金の提供を申し出ましたが、当時の学長セス・ロウはこれを拒絶しています。生真面目な学者のロウからすれば、ユダヤ人で、なおかつ“いかがわしい新聞”の発行者からの資金など受け取れないということだったのでしょう。ちなみに、ピュリッツァーの資金でコロンビア大学にジャーナリズム大学院が設立されるのは、彼が亡くなった後の1912年のことでした。

 さて、1895年2月17日、それまで雑誌『トゥルース』に連載されていたリチャード・F・アウトコールトの漫画『ホーガンズ・アレイ』が、『ワールド』に場所を移して連載スタートします。『トゥルース』での『ホーガンズ・アレイ』はモノクロの不定期連載でしたが、『ワールド』では同年5月5日からカラー版が掲載されるようになり、ニューヨークではその人気が沸騰しました。

 ところが、ほぼ時を同じくして、1895年に『ニューヨーク・ジャーナル』紙(以下、『ジャーナル』)を買収したアイルランド系プロテスタントのウィリアム・ランドルフ・ハーストは、同紙の目玉として、アウトコールトを引き抜き、『ホーガンズ・アレイ』は主人公のイエロー・キッドにちなんで『イエロー・キッド』と改題されて『ジャーナル』での新連載が始まりました。

 人気のコンテンツを横取りされた格好のピュリッツァーは、対抗措置として、画家ジョージ・ラックスにイエロー・キッド漫画の新シリーズを書かせ、連載を継続します。この結果、イエロー・キッドの漫画が競合2紙で同時に連載されるという前代未聞の事態となりました。

 三流新聞を揶揄していう“イエロー・ペーパー”との表現は、『ワールド』と『ジャーナル』が、いずれもセンセーショナルな記事を特徴とした大衆紙だったことにくわえ、イエロー・キッド漫画を掲載していたことに由来するものです。

 ちなみに、イエロー・ペーパーに対して、“クオリティ・ペーパー”の筆頭とされることの多い『ニューヨーク・タイムズ』ですが、1851年創刊の同紙は、1896年、『チャタヌーガ・タイムズ』紙の経営者でユダヤ系移民2世のアドルフ・オークスによって買収されています。

 生粋の新聞人として、『ワールド』と『ジャーナル』のイエロー・ペーパー戦争を苦々しく思っていたオークスは、「恐怖や好みに陥らない、公平なニュースを届ける」ことを編集方針の基本とし、1897年からは新聞の第一面に“All The News That's Fit To Print(印刷に値するニュースのすべてを)”とのスローガンを掲げ、『ワールド』や『ジャーナル』に対して真っ向から勝負を挑みました。

 オークスは、資金的には必ずしも余裕があるわけではなかったにもかかわらず、広告も内容も吟味して不良スポンサーを排除し、料金も一部3セントから1セントに値下げします。そのうえで、質の高い編集方針を維持することで、1年で部数を3倍に延ばし、現在の同紙の基礎を築きました。

 一方、イエロー・ペーパーとしての『ワールド』と『ジャーナル』の熾烈な競争は、やがて、1898年の米西戦争につながっていきます。

 スペイン領だったキューバの地主たちの間では、19世紀を通じて製糖業と米国市場との結びつきが深まっていくにつれ、米国への統合を望む声も高まっていきましたが、1890年代半ばまでの米政府は、ヨーロッパの植民地主義に対する国民の嫌悪感に加え、いずれスペインはキューバを売却するものと確信していたこともあり、武力によってキューバを併呑することには否定的な態度をとりつづけていました。

 こうした背景の下で、1895年4月、ホセ・マルティを指導者とする独立戦争(1868-78年の独立戦争と区別して第二次独立戦争ということもある)が勃発。マルティは「米国に統合してもキューバ人は幸せにならない」と主張してキューバ革命党を結成したカリスマ的人物でしたが、開戦早々に戦死してしまいます。しかし、その後もキューバ人による独立運動は粘り強く続けられ、マクシモ・ゴメス将軍ひきいる独立軍はスペイン軍をあと一歩のところまで追い詰めるところまでこぎつけました。

 キューバの独立戦争がはじまると、米国内では、『ワールド』と『ジャーナル』は、スペインの“暴政”をセンセーショナルに取り上げ、自由を求めて戦うキューバ人を救い、米国の権益(米国はキューバの砂糖農場に莫大な投資をしていました)を擁護するためにも、スペインを討つべしとの世論を誘導します。

 こうした状況の中で、1898年2月、ハバナ港に停泊中の米戦艦メイン号が爆発し、将兵ら266名が亡くなる事件が発生。現在では、爆発はメイン号の内部機関のトラブルによるものとの説が有力となっていますが、このことが明らかになるのはずっと後のことで、当時の『ワールド』と『ジャーナル』は、事件をきっかけに、より強烈な反スペイン・キャンペーンを展開しました。

 「風景は散文詩にしかならない。キューバに戦争はない」と報告してきた特派員からの電報に対して、ハーストが「君は散文詩を提供せよ。僕は戦争を起こす」と返電したというエピソードは、映画『市民ケーン』にも採用されていますから、ご存じの方も多いかと思いでしょう。

 案の定、加熱するキャンペーン報道に煽られた米国の世論は「メイン号を忘れるな」のスローガンとともに沸騰。4月25日、米国政府は、ついに、スペインに対して宣戦を布告し、米西戦争が勃発。戦争の結果、キューバは米国の勢力圏に組み込まれることになります。

 このように、米西戦争は新聞が誘導した戦争として、メディアの歴史において特筆すべき出来事ですが、その一端を、ユダヤ人のピュリッツァーが経営する『ワールド』が担っていたということは、後に、“メディアを牛耳るユダヤ人”というイメージが形成される一因になったのではないかと思います。

 なお、米西戦争については、拙著『反米の世界史』でも、まとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 

 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
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