内藤陽介 Yosuke NAITO
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 肖像切手なき新大統領就任
2017-05-10 Wed 10:45
 朴槿恵前大統領の失職を受けて、昨日(9日)、投開票が行われた韓国の大統領選挙は、“共に民主党”の文在寅候補が当選しました。通常、韓国では新大統領は当選後2ヶ月ほどの移行期間を経て正式に就任しますが、今回は、大統領不在のため、けさ(10日朝)の選管の当選者決定案の議決と同時に大統領となり、きょう正午ごろ、国会本会議場前のホールで略式の就任式を開き、就任宣誓を行うことが検討されているそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・第2共和政

 これは、1960年10月1日、いわゆる4・19学生革命で李承晩政権が退陣した後、第2共和政が発足したことを受けて発行された“新政府樹立”の記念切手です。

 1960年3月15日の大統領選挙では現職の李承晩が4選を果たしましたが、李承晩陣営は、選挙当日の未明、投票箱に前もって記名済みの票を入れておいたり、有権者を小人数のグループに分け、組長が組員の記入内容を確認した後、投票箱に入れるようにしたり、さらには、投票箱と投票用紙をすり替えたりするなど、露骨な不正を行いました。

 このため、選挙後、不正選挙を糾弾するデモが相次ぎ発生。特に馬山で行われたデモは激しく、警察の発砲により、8人が死亡し、200人余が負傷しました。さらに、デモに参加した後、行方不明となっていた中学生・金朱烈(当時17歳)が、4月11日になって、馬山の沖合で、目に催涙弾が突き刺さった惨殺体で発見されると、これを機に、李政権に対する国民の不満が爆発。4月19日には、ソウルで大規模な学生デモが発生しました。このときのデモでは、学生と警官隊との衝突で183人が死亡し、6200人が負傷しました。さらなる騒擾状態が続く中で、米国も李承晩不支持を明らかにし、万策尽きた李承晩は退陣を表明してハワイに亡命。また、副大統領に当選したばかりの李起鵬は28日にピストルで自殺しました。

 4月27日の李承晩退陣を受けて、大統領権限代行に就任した許政は、5月1日、学生革命の発端となった3月15日の大統領選挙の選挙が無効であることを確認し、李承晩時代を清算すべく、新たな憲法を制定して議会の選挙を行うため、早速、議会内に憲法改正委員会を組織し、改憲作業に着手します。

 当時の韓国の憲法は、1954年11月の“四捨五入改憲”によって大統領の3選禁止規定が外されるなど、李承晩の長期独裁体制を支える法的な基盤となっていたため、改憲作業は、この点に重点を置き、多様な民意を政治に反映させるため、権力を分散させることに主眼をおいて進められました。

 その結果、1960年6月15日、韓国議会で新憲法案が可決され、即日公布されます。そのポイントとしては、①大統領は元首として儀礼的・形式的な存在、②大統領は国民による直接選挙ではなく、国会議員による間接選挙、③国務委員(閣僚)は総理が任命し、大統領には拒否権なし(内閣責任制)、④民議院と参議院(新設)の2院制導入と議会の立法権限の強化、⑤憲法裁判所の新設、⑥地方自治体首長の選挙制、⑦基本権の保障、などが挙げられます。

 新憲法下での民議院・参議院両院の最初の総選挙は7月29日に実施され、民主党が333議席の7割強を独占して圧勝。李承晩時代の与党・自由党は2議席しかとれず事実上消滅し、左派の社会大衆党が4議席を獲得しました。

 ところで、選挙結果を受けて、民主党内では主導権争いが表面化します。

 もともと、当時の民主党は李承晩3選を阻止するため、民主国民党を中心に野党勢力が大同団結して結成されたものでした。このうち、もともと民主国民党にいたグループの旧派と、そこに後から合流したグループの新派は、李承晩打倒という共通の目標の下に団結していただけなので、李承晩退陣後は、協力関係を維持する理由もなくなっていました。

 こうした中で、8月12日から開催された韓国国会では、旧派の代表であった尹潽善が大統領(第2共和国の憲法では形式的な国家元首)に選出され、第2共和国が正式に発足。これに対して、1週間後の8月19日に議会で行われた首相選挙では、尹大統領の指名した旧派の金度演は3票差で否決され、代わって、新派の張勉(李承晩時代は、野党出身の副大統領として、反李承晩派の総帥のような立場にありました)代表最高委員が国務総理となりました。

 しかし、この結果を不服とする旧派は、張勉内閣への協力を拒否。このため、張勉政権は、当初、新派のみで組閣せざるを得ず、はやくも9月には内閣改造を行って旧派から5名を入閣させて尹らとの妥協を模索するなど、政局は安定しませんでした。

 このように波乱含みで政権をスタートさせた張勉は、9月30日、施政方針演説を行います。その内容は、李承晩時代末期の失政により破綻の危機に瀕していた経済の再建を最優先課題として掲げ、軍隊の10万人削減、国連外交の強化、国連監視下の南北統一選挙、日本との国交正常化促進などを訴えるものでした。また、演説の中には「旧秩序と新秩序が交錯する過程では、ある程度の混乱は免れない」との表現がありましたが、ここには、党内野党のような存在となっていた旧派への牽制の意図が込められていました。

 こうして、第2共和国が波乱含みで動き出したのにあわせて、翌10月1日、今回ご紹介の“新政府樹立”の記念切手が発行されました。

 李承晩政権下では、1948年の初代大統領就任以来、大統領の再選・3選時には、就任式にあわせて李の肖像を描く記念切手が発行されてきました。これに対して、第2共和政の大統領になった尹は「そうした習慣は民主主義国家にそぐわない」として、自らの肖像を入れた新大統領就任の記念切手を発行しないように指示。その結果、第2共和政発足を記念するものとしては、“新政府樹立”の名目の下、こうしたデザインの記念切手が発行されることになりました。

 その後、1961年の“516革命”で権力を掌握した朴正煕は、1963年の大統領就任時に自らの肖像を描く記念切手を発行。以後、韓国では、大統領の再任および新大統領の就任時には、前大統領の朴槿惠まで、肖像切手が発行されるのが慣例となってきました。

 今回、前大統領の失職を言う事態を受けて、当選後ただちに新大統領に就任した文在寅の場合、きょうの大統領就任専制に記念切手が間に合わないのは仕方ないとして、今後、何らかのタイミングを待って肖像切手が発行されるのか、それとも、これを機に、新大統領就任の肖像切手の発行が取りやめになるのか、現時点では明らかにされていません。新大統領の文が、尹潽善以来、自らの肖像切手を発行しなかった2人目の大統領になるのかどうか、今後の状況に注目したいところです。

 なお、歴代の韓国大統領と切手の関係については、拙著『韓国現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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