内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガールスカウトの日
2017-05-22 Mon 11:37
 きょう(22日)は、1947年5月22日、第二次世界大戦で中断されていた日本の“ガールスカウト”を再興するためにガールスカウト中央準備委員会が発足したことにちなみ、“ガールスカウトの日”だそうです。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ガールスカウトアジア大会(1963)

 これは、1963年8月1日に発行された“ガール・スカウトアジア大会”の記念切手です。ガールスカウト関連の切手は各国から発行されていますが、日本では、今回ご紹介の切手が最初の1枚となります。

 英国のロバート・ベーデン・パウエルによってボーイスカウト運動が正式に始められたのは1908年のことでしたが、翌1909年、ロンドンのクリスタル・パレスでボーイスカウトの大会が行われたとき、参加者の中には少女の一団も含まれていました。

 この一団に注目したパウエルは、翌1910年、少女のためのスカウト活動を組織化すべく、妹アグネスに協力を依頼。さらに、パウエルは1912年に結婚した妻オレイブ・ソームズとともに、少女を対象としたスカウト活動の組織化に力を注ぎました。

 なお、当初、英国では、この運動は“ガールガイド”と呼ばれていましたが、1912年に米国に紹介された際、ガールスカウトという名称が用いられ、以後、英国系ではガールガイド、米国系ではガールスカウトという呼称が用いられるようになります。

 さて、ガールガイド運動は、1919年、東京の香蘭女学校に教師として赴任した英国の宣教師、ミュリエル・グリーンストリートによって日本にも伝えられました。グリーンストリートは、英連盟の一支部として香蘭女学校に日本女子補導団東京第一組を設立。英本国のガールガイドにならい、“やくそく”と“おきて”を唱え、同連盟のハンドブックと、会員ピンを使用しました。

 その後、日本のガイド運動は、1923年に英連盟の支部から独立し、日本女子補導団が結成されました。当初、女学校におかれたガイド部門は、小学校にも広がり、少女団(ブラウニー団)も設立されています。また、南満州鉄道の附属地であった大連、長春にも、日本女子補導団の支部が作られています。

 その後、1928年に、ガールガイド/ガールスカウト世界連盟の創設が決まると、日本は26ヶ国の創立会員の一国として、1939年まで世界連盟に加盟していました。しかし、戦況の悪化に伴い、連盟からの脱退を余儀なくされ、太平洋戦争開戦後の1942年には、日本女子補導団そのものが解散の憂き目にあってしまいます。

 戦後、連合国の占領下で、ボーイスカウト運動が再開されると、これにあわせてガールスカウト運動の再建も進められ、1947年5月22日、GHQ民間情報局(CIE)少年教育顧問のラッセル・ダーギンの援助によってガールスカウト中央準備委員会が発足。さらに、翌1948年には、世界連盟からの資金援助が開始され、米連盟からマルグリート・テュウイが世界連盟のトレイナーとして来日しました。そして、彼女の滞日中の1949年4月4日、ガールスカウト日本連盟が成立し、日本国内のガールスカウト運動の組織は完全に復活しました。

 このように、戦後の運動はGHQの下で再興されたため、名称はガールスカウトとなり、プログラムの内容も米国の影響が強いものとなりました。その後、1952年8月、ノルウェーで開催された第14回世界会議で日本のガールスカウト連盟は準加盟を承認され、1960年5月、ギリシャでの第17回世界会議で、世界連盟への正式加盟を果たしています。
 
 1963年は、上記のような日本のガールスカウト活動の再出発(テュウイの来日から起算した場合)から15周年にあたっており、また、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟への正式加盟から3周年にあたっていました。

 そこで、これを記念して7月31日(ただし、開会式は8月1日)から8月7日までの会期で、長野県の戸隠高原で、ガールスカウトの国際キャンプ大会(アジア大会)が行われ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダを含むアジア・太平洋地域の21ヶ国から4000名(うち日本から3500名)が参加しました。

 このアジア大会に際して切手を発行することについては、著名な収集家でボーイスカウト東京連盟理事長でもあった村山有が文部省に働きかけ、1962年8月、郵政省から次年度の記念切手にふさわしい題材についての照会があったときに、ガールスカウトアジア大会を申請するよう、根回しをしています。はたして、文部省側は、村山の働きかけに応じて切手発行の申請を行い、それを受けて、1963年1月28日に開かれた郵政審議会の専門委員会では、記念切手の発行が正式に決定されています。

 切手発行の決定を受けて、1963年2月から3月にかけて原画の制作が行われ、3月27日、三指の敬礼をするガールスカウトとガールスカウト連盟期を描いた大塚均の作品が切手の原画として採用されました。原画は、翌28日に印刷局へ渡され、6月11日の試刷完成を経て、開会式当日の8月1日、切手発行の運びとなっています。


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