内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ノリエガ元将軍、亡くなる
2017-05-31 Wed 09:01
 中米パナマの事実上の独裁者として君臨していたマヌエル・ノリエガ元将軍(以下、敬称略)が、29日、パナマ市で亡くなっていたことがきのう(30日)明らかになりました。享年83歳。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ノリエガ・サイン  ノリエガ差出の封筒

 これは、米マイアミの刑務所に収監中のノリエガが支援者の求めに応じて、メッセージとサインを記した彼の肖像写真と、それを送った封筒です。

 マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノは、1934年2月、パナマ市の貧民街でメスティーソの家庭に生まれました。国立パナマ大学を卒業後、ペルーのチョリヨス軍官学校に留学。さらに、パナマに帰国後は米租借地の運河地帯、フォート・グリック内にあった米陸軍米州学校(SOA:School Of the Americas)で諜報および防諜を学びました。

 SOA修了後、米ノース・カロライナ州のフォート・ブラッグで心理戦を学んだノリエガは、1967年、パナマ国家警備隊(国軍)に入り、翌1968年、中尉に任官します。
 
 任官後まもない1968年、パナマではオマル・トリホスが軍事クーデターを起こして権力を掌握すると、ノリエガは、SOAの先輩であるトリホスを支援して反トリホス派を制圧し、その論功で1969年には一挙に中佐にまで昇進。彼が責任者を務めていた諜報機関G2はCIAの下で訓練を受けていました。ちなみに、当時、CIA長官としてパナマに関わっていたのが、後に大統領になるジョージ・ブッシュ(父)で、ノリエガはCIAから年間11万ドルを受け取り、各地のパナマ大使館から得た情報をCIAに流していました。

 一方、トリホスは1972年に新憲法を制定して独裁体制を構築。以後、ペルーのベラスコに影響を受けた左派民族主義の色彩が強い政策を打ち出し、パナマ運河地帯の主権を回復すべく、キューバのカストロ政権にも接近するなどして米国に揺さぶりをかけるとともに、1973年の国連安全保障理事会では、パナマ運河の主権はパナマにあることを確認させ、パナマの主権を尊重した新条約の成立を勧告する決議案を提案させました。この決議案は米国の拒否権で否決されていますが、1977年、パナマは米国と運河返還を約束する条約の締結に成功しています。

 反米自主路線を採るトリホスに対して米国が強く反発する中で、1981年7月31日、トリホスを乗せた飛行機が離陸後10分で墜落事故を起こし、トリホスは死亡。事故原因は現在なお不明ですが、パナマ国民の多くは、この事故は、米国の意を受けて、ノリエガが仕組んだものとみています。

 トリホスの死後、国家警備隊のフロレンシオ・フローレス・アギラール大佐が後継者となりましたが、1982年3月3日、ルベン・ダリオ・パレーデス大佐がクーデターを起こして実権を掌握。ノリエガは、パレーデスの下で国家防衛軍(国家警備隊から改組)の参謀総長に就任しましたが、1983年8月、パレーデスを追い落として軍内を掌握。最高権力者にのし上がり、独裁体制を構築します。

 1984年には16年ぶりに直接選挙による大統領選挙が行われ、トリホスのクーデターで失脚した元大統領、アルヌルフォ・アリアスが実際には最多の得票を得たが、ノリエガは選挙結果を操作し、親米派エコノミストのニコラス・アルディト・バルレッタが当選。さらに、1985年9月には、ノリエガ批判の急先鋒だったウーゴ・スパダフォラ元厚生次官が誘拐され、コスタリカとの国境地帯で虐殺されました。さすがにスパダフォラ殺害事件を許容できなかったバルレッタは大統領を辞任しましたが、反共を優先した米国はノリエガの専横を黙認していました。

 ところが、1986年、ノリエガが米国への麻薬の輸出とマネーロンダリングに関与しているとの疑惑が浮上。さらに、1987年6月には元国家防衛軍参謀総長のトリホス・エレーラが、1984年の大統領選挙における不正工作、スパダフォラ殺害、麻薬密売への関与でノリエガを告発したのを機に、ノリエガ退陣・民主化運動が発生します。これに対して、ノリエガの影響下にあるパナマ政府は、非常事態を宣言し、反政府系メディアを閉鎖するなど民主化運動を抑圧しました。

 1988年に入ると、米国はパナマの在米資産凍結とパナマ運河使用料支払い停止を発表。ノリエガは、これに対抗して在パナマ外国資産凍結を発表したが、パナマ経済は大混乱に陥ります。さらに、1989年5月に行われた大統領選挙では、反ノリエガ派のギジェルモ・エンダラが当選したものの、ノリエガは米国の干渉を理由に選挙の無効を宣言し、会計院長のフランシスコ・ロドリゲスを大統領とするなど、パナマ情勢は混乱が続きました。

 こうした中で、1989年12月20日、米国はパナマ在住米国民の保護、パナマ運河条約の保全、ノリエガの拘束を主目的とする“ジャスト・コーズ作戦”を発動。5万7384人の米軍を侵攻させてパナマ市を占領。1990年1月3日、ノリエガを拘束し、独裁政権は崩壊しました。

 その後、ノリエガは米国で麻薬密売容疑等により禁錮40年の判決を受け、彼の独裁体制を支えたパナマ国防軍も解体され、非軍事的性格の国家保安隊に再編されます。今回ご紹介のマテリアルは、マイアミの刑務所に収監中のノリエガが獄中から差し出したもので、差出人の欄にはノリエガの名はなく、囚人番号38699079が記されています。(下にその部分の画像を貼っておきます)

      ノリエガ封筒・部分拡大

 その後、ノリエガは模範囚であることを理由に刑期が短縮され、2007年9月9日に釈放されましたが、その直前の8月28日、フロリダ州連邦地裁は、フランス国内の銀行口座を使って麻薬資金のマネーロンダリングを行っていたとして、欠席裁判でノリエガに禁固10年の有罪判決を下していたフランスに対して、ノリエガの身柄を引き渡すことを決定。これを受けて、2010年4月26日、ノリエガはフランスへ移送され、同年7月7日、パリの裁判所で禁固7年の有罪判決を下されました。

 さらに、フランスでの収監を経て、2011年12月11日、ノリエガはフランスからパナマへ送還され、やはり、欠席裁判で下されていたウーゴ・スパダフォラ殺害容疑での禁固20年の判決に従い、収監されました。その後、ノリエガは高血圧症のためパナマ市内の病院に搬送されましたが、20173月7日に脳腫瘍の手術を受けた直後に重体となり、5月29日、83歳で亡くなりました。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は1日! ★★★ 

 6月1日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第3回目が放送予定です。今回は、5月26-27日にG7サミットが行われたシチリアにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
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