内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 父の日
2017-06-18 Sun 10:19
 きょう(18日)は“父の日”です。というわけで、“母の日”の時と平仄をあわせて、パレスチナ関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ムハンマド・ドゥラ事件(イラク)

 これは、2001年9月20日にイラクが発行した“パレスチナのために”の切手のうち、銃撃されるジャマールとムハンマドのドゥラ父子を取り上げた1枚です。

 オスロ合意後の和平プロセスが停滞する中で、2,000年7月、イスラエルのエフード・バラック労働党政権はパレスチナ自治政府に対してヨルダン川西岸地区からのイスラエル軍の撤退を含む“寛大な申し出”を行うことで和平の進展を目指しましたが、東エルサレムの帰属に固執するアラファトはこれを拒否。和平交渉は決裂します。

 こうした状況の下、9月28日、翌2001年2月の首相公選をにらんで支持拡大を狙っていた野党リクードの党首、アリエル・シャロンが、護衛の警官1000人とともに、エルサレムの“神殿の丘”に上るパフォーマンスを行いました。

 第三次中東戦争の結果、東エルサレムはイスラエルの占領下に置かれましたが、岩のドームを含むハラム・シャリーフ(ユダヤ教の用語では神殿の丘)は歴史的にワクフが設定されていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、原則として、ユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は禁じられているという変則的な状況となっていました。

 ちなみに、ワクフというのはイスラムに独特の財産寄進制度で、なんらかの収益を生む私有財産の所有者が、そこから得られる収益を特定の慈善目的に永久に充てるため、その財産の所有権を放棄すること、またはその対象の財産やそれを運営する組織を意味しています。一度、ワクフとして設定された財産については一切の所有権の異動(売買・譲渡・分割など)が認められません。パレスチナ、特に、ハラム・シャリーフがワクフであるとの根拠は、638年、第2代正統カリフのウマルが、エルサレムの無血開城に際してギリシャ正教会総主教と結んだ盟約にあるとされています。

 これに対して、イスラエル国内の反アラブ強硬派は神殿の丘にあるイスラムの建物を破壊してユダヤ教神殿を再建することを主張していましたから、対パレスチナ強硬路線を掲げていたシャロンが神殿の丘に登ることはきわめて挑発的な行為として、パレスチナ域内のみならず、イスラム世界全域から強く非難されました。しかも、事前にパレスチナ側の強い反対があったにもかかわらず、イスラエルのバラック政権はシャロンの行動を阻止しなかったため、翌29日、パレスチナのムスリム2万人が抗議行動を開始。その過程で、嘆きの壁で祈祷していたユダヤ教徒への投石を機に、パレスチナ全域で大規模な民衆蜂起が発生しました。

 これが、第二次インティファーダです。

 第二次インティファーダ発生翌日の9月30日、ガザ地区でジャマールとムハンマドのドゥラ父子が、“イスラエル軍監視所方向から”の銃撃を受け、父親のジャマールは重傷を負い、当時12歳だったムハンマド君が亡くなります。ちなみに、事件当日、ガザ地区内の学校は休校措置が採られており、ムハンマドも家にいて、当初はインティファーダを見に行きたいといっていました。しかし、棄権が大きすぎるとの両親の反対で断念。代わりに、父親のジャマールとともに車の競売(ジャマールはその直前に、それまで乗っていた1974年式のフィアットを売却しており、新たな車が必要だったそうです)に出かけ、その途中で遭難したわけです。

 フランスのテレビ局、フランス2のパレスチナ人カメラマン、タラール・アブー・ラフマは、市街地での銃撃戦に巻き込まれて恐怖の表情で身を隠す父子の映像と、しばしの中断の後、銃撃されたぐったりした父子の映像を撮影。これが、フランス2のみならず、CNNなどを通じて全世界に放送され、全世界に衝撃を与えるとともに、インティファーダの激化を招きました。

 件の映像が放映された直後、イスラエル当局はイスラエル軍による発砲を認めて“謝罪”を表明。これを受けて、アラブ諸国は、父子への銃撃をイスラエルの非道を象徴するものとして、こぞって悲劇の場面を取り上げた切手を発行します。今回ご紹介のイラクの切手もその1枚ですが、事件はガザ地区での出来事にもかかわらず、サッダーム・フサインの主張するリンケージ論を強く印象付けるため、エルサレムの岩のドームを左上に配した図案構成になっています。なお、この切手では、ムハンマド少年の亡くなった日は“2000年10月1日”となっていますが、上述のように、少年が亡くなったのは9月30日で、切手に記された日付は少年の死が報じられた日というのが正確です。

 ところが、2002年3月、ムハンマド少年の遺体が、事件後、解剖などの捜査もないまま、異例の速さで埋葬されたことなどに疑問を抱いたドイツのテレビ局ARDが現地で聞き取り調査などを実施し、ドキュメンタリー番組を作成。背後の壁に残された弾痕の形状やイスラエル軍の監視所の位置関係から、少年の命を奪ったのは、イスラエル軍の発砲による可能性は低く、むしろ、パレスチナ側からの発砲による可能性が高いと指摘しました。

 これを受けて、イスラエルは再調査の上、2005年に少年の死はイスラエル軍による発砲だったとの見解を撤回。2013年の最終報告書では、イスラエル軍の発砲によって父子を殺傷することは物理的に不可能だったと結論づけています。

 一方、父親のジャマールとエンダリン、フランス2は、少年の死はあくまでもイスラエルの発砲によるものと主張。2012年には、フランス2が、同局の“捏造報道”を非難するジャーナリストのフィリップ・カーセンティを名誉棄損で提訴し、翌2013年、カーセンティには7000ユーロの罰金を科す判決が出るなど、事件をめぐる対立は現在も続いています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。
スポンサーサイト

別窓 | イラク | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< おかげさまで180万PV | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  切手歳時記:国蝶論争>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/