内藤陽介 Yosuke NAITO
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 トルキスタン総督府150年
2017-07-11 Tue 22:58
 1867年7月11日、ロシアによる中央アジア支配の拠点として、タシュケントにトルキスタン総督府が設置されて、今日でちょうど150年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブハラ・ユダヤ人(19世紀後半)

 これは、2015年にイスラエルが発行した“ユダヤ・コミュニティの宝石”の切手のうち、19世紀後半、トルキスタン総督府支配下のブハラ・ユダヤ人の結婚式の新婦の髪飾りを取り上げた1枚で、タブには、当時の新郎新婦の写真が取り上げられています。

 現在、ウズベキスタンをはじめとする中央アジア諸国では人口の9割以上をムスリムが占めていますが、かつては、相当数のユダヤ人が住んでいました。

 歴史的にみると、中央アジアで比較的大きなユダヤ人コミュニティが存在していたのは、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドなど、現在のウズベキスタン領内の諸都市が中心でしたが、その居住地域は、現在の国名でいうと、ロシアやカザフスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン、パキスタン、キルギス等にまで広がっていました。

 こうした中央アジアのユダヤ人は、ロシア人やアシュケナジーム(イディッシュ語を話すドイツ系ユダヤ人)から“ブハラ・アミール国(現在のウズベキスタンの前身の一つ)のユダヤ人”という意味で“ブハラ・ユダヤ人”と呼ばれていました。また、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドの各都市は、いずれも、シルクロードのオアシス都市として繁栄していたことから、イランやアフガニスタンなどから中央アジアへ移住するユダヤ人もあり、外部からは、彼らも一括してブハラ・ユダヤ人とされていました。

 ブハラ・ユダヤ人の多くは、自らを“ユダヤの失われた10支族(『旧約聖書』に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族)”のうち、紀元前6世紀のバビロン捕囚からの解放以後、カナンの地に戻らなかった支族の子孫であると主張しています。この伝承が歴史的事実であるかどうかはともかく、彼らが、中央アジアでも最も古い宗教・エスニック集団の一つとして独自の文化を育んできたことは間違いありません。

 ブハラ・ユダヤ人は、ヘブライ文字を使うタジク・ペルシャ語(通常のペルシャ語はアラビア文字を使います)を母語としていたため、周辺のムスリム系諸民族とも容易にコミュニケーションをとることができました。ただし、都市部においては、ブハラ・ユダヤ人は、ムスリムとは混在せず、シナゴーグを中心としたユダヤ人のみの居住区を作り、商業や手工業等に従事するというのが近代以前の一般的な姿でした。

 19世紀中盤以降、中央アジアへの本格的な進出を始めた帝政ロシアは、ブハラ・ユダヤ人を積極的に活用し、ユダヤ人の側もロシアとの交易拡大を期待してロシア人の進出を歓迎。この結果、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ブハラ・アミール国が帝政ロシアによって保護国化されると、ロシアと結んで巨額の利益を得るユダヤ商人が数多く登場します。今回ご紹介の切手に取り上げられたブハラ・ユダヤ人の宝飾も、そうした彼らの財力を反映したものでした。

 19世紀末になり、シオニズムが登場すると、ブハラ・ユダヤ人の中にも、それに共鳴してエルサレムに移住する者が現れます。彼らの中には富裕な商人も少なくなかったため、1898年には、その財力を背景にエルサレム旧市街の城壁外にブハラ・ユダヤ人の居住区も建設されました。

 エルサレム在住のブハラ・ユダヤ人の人口は第一次大戦までに1500人にまで拡大したが、1917年のロシア革命で社会主義政権が誕生すると、ソ連(1922年末成立)領内からユダヤ人の出国は大きく制限され、ブハラ・ユダヤ人のパレスチナへの移住も途絶しました。

 さらに、ソ連の支配下で成立したウズベク・ソヴィエト社会主義共和国の支配下では、従来からのブハラ・ユダヤ人に加え、東欧など、他の地域から労働者や官僚、軍人などとしてウズベキスタンの地に移住するユダヤ人(その大半はアシュケナジーム)も増加したため、現在のウズベキスタン国家においては、ふたつの異なるユダヤ人コミュニティが併存するようになります。また、ソ連の教育により、彼らの間にロシア語が急速に普及していきました。

 1967年に第3次中東戦争が勃発した時点で、イスラエル在住のブハラ・ユダヤ人は約2万人でしたが、その後、ソ連は国内のユダヤ人の出国制限を緩和し、1980年代初頭までに約3万人が移住。さらに、1985年にペレストロイカが始まると、ブハラ・ユダヤ人の国外出国には拍車がかかり、1991年末のソ連崩壊を経て、1992年までに約4万人がイスラエル、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどに移住していきました。現在、ウズベキスタン国内のブハラ・ユダヤ人は、タシュケントを中心に、5000人以下にまで減少しています。


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      全日展2017ポスター

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