内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 岩のドームの郵便学(52)
2017-07-19 Wed 09:47
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』649号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1994年のパレスチナ自治政府発足に対するリビアの反応について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      リビア・インティファーダ(1995)

 これは、1995年11月29日にリビアが発行した“インティファーダ8周年”の記念切手です。

 オスロ合意からパレスチナ自治政府設立にいたる一連の和平プロセスに対して、エジプトなどがこれを肯定的に受け止める一方、対イスラエル強硬派の急先鋒だったリビアは露骨に不満の意を示していました。

 すなわち、1991年の湾岸戦争に際して、リビアのカダフィ政権はPLOとともにイラク支持を表明した数少ない国の一つとして、サッダーム・フサインの唱えたリンケージ論にも賛意を示していました。ちなみに、当時のカダフィ政権は、パレスチナで反イスラエル活動を継続するハマースに資金援助しています。

 そうした立場をとってきたカダフィ政権からすれば、PLOがイスラエルとオスロ合意を結び、パレスチナの一部地域でのみ自治を開始したことは、まさにはしごを外された格好になったわけです。

 このため、PLOとアラファトの裏切りに激怒したカダフィは、1994年9月1日、革命記念日の演説で、彼らへの抗議の意思を示すため、リビア国内在住のパレスチナ人に国外退去を求める意向を表明します。その建前は、あくまでも、アラファトとPLOがパレスチナに帰還した以上、パレスチナ人も祖国に帰還すべきであるというものでしたが、現実には、パレスチナ自治政府の支配地域には、在外パレスチナ人の期間を受け入れるだけの経済的・物理的余裕がないのは誰の目にも明らかでした。したがって、いきなりパレスチナへの“帰還”を求められたリビア在住のパレスチナ人の多くは、大いに困惑しつつも、当初はカダフィ特有のブラフだろうと楽観的に考えていたようです。

 ところが、1994年12月から1995年2月にかけて、①リビア国内の各省庁から労働省に提出されていた労働契約更新のリストからパレスチナ人の除外、②各省庁から労働省に提出されていた新規の(パレスチナ人の)雇用契約の差し戻し、③パレスチナ人には新規の在住許可をあたえず、更新も認めない、④パレスチナ人のリビア入国の拒否とその周知、⑤いったん国外に退去したパレスチナ人の再入国禁止、等の措置が相次いで打ちされます。

 このため、エジプトとの国境地帯にパレスチナ人が押し寄せたほか、海路、シリア、レバノンに脱出しようとするパレスチナ人が続出しましたが、各国はいずれもパレスチナ人の“難民”としての入国を認めなかったため、多くのパレスチナ人がリビア=エジプト国境の砂漠地帯や地中海上に留め置かれることになりました。

 結局、10月26日、カダフィがパレスチナ人“追放令”を撤回したことで事態は収拾に向かうのですが、カダフィのこうした姿勢は、オスロ合意とそれに基づいて発足したパレスチナ自治政府の正当性を認めず、その統治を拒否するハマースを側面から支援することになっていきます。

 一方、イスラエル国内でも、オスロ合意とパレスチナ自治政府をパレスチナ側に対する過剰な譲歩として批判する声は右派勢力を中心に少なくありませんでした。そうしたなかで、1995年11月4日、テルアヴィヴで開催された平和集会に参加した首相のラビンが、ユダヤ民族至上主義を奉じるイガール・アミンによって暗殺されてしまいます。殺害の動機について、アミンは「神の律法によれば、ユダヤ人の土地を敵に渡してしまう者は殺すべきことになっている」と語りました。ただし、そのユダヤの律法では、ユダヤ人がユダヤ人を殺すことは明確に禁じられています。

 ラビン暗殺を受けて、リビア国営ジャマヒリア通信は「彼の手は虐殺されたパレスチナ人の血で染まっている」とするカダフィの歓迎声明を発表。それを補足するかのように、今回ご紹介の切手では、岩のドームを背景にイスラエルに対する抵抗運動を展開する人々が描かれており、ラビン暗殺後の混乱に乗じて、反イスラエルのテロ/武装闘争を煽動しているかのような印象を与えるものとなりました。

 はたして、1996年1月、自治政府の国家に相当するパレスチナ評議会の選挙が行われることになりましたが、ハマース、イスラム聖戦、ヒズボラなどイスラム原理主義勢力は選挙をボイコットし、テロ活動を激化させていきます。

 そうした中で、ラビンの暗殺後、緊急閣議で暫定内閣の首相代行を経て、首相(2度目)に就任したのは、外相として和平プロセスを進めていたシモン・ペレスでしたが、1996年3月3-4日、和平に反発するパレスチナの過激派が2度の自爆テロを起こし、30人のイスラエル人が死亡すると、対パレスチナ強硬派のリクード連合を基盤とするベンヤミン・ネタニヤフがそれを材料に労働党政権を批判。さらにレバノンのヒズボラもイスラエルを攻撃するなど、治安が急激に悪化したことが要因となって、1996年4月の首相公選では、ペレスはネタニヤフに敗れ、政権を失うことになります。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。
スポンサーサイト

別窓 | リビア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< マロロシア時代のドネツィク | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  開催御礼>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/