内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 ヒズボラ切手
2006-08-16 Wed 08:15
 靖国問題の陰に隠れて、日本国内ではイマイチ小さな扱いですが、レバノンで停戦が成立しました。

 ということで、こんな切手(画像はクリックで拡大されます)をもってきてみました。

ヒズボラ切手

 この切手は、1987年にヒズボラ(ヒズブッラー)の反イスラエル闘争を称えてイランが発行したものです。

 ヒズボラは、1982年に結成された急進的シーア派組織で、イラン型のイスラム共和国をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心としており、イランならびにシリアの組織的支援を受けているとされています。

 その理論的指導者、ムハンマド・ファドルッラーは、1976年に発表した著書『イスラムと力の論理』で、「数の上では常に多数派を占めている弱者が信仰に立脚して不退転の決意をもって強者に抵抗する」ことを主張。「神の道のために努力する」というジハードの理念(日本語では「聖戦」と訳されることが多いが、必ずしも、ここでいう“努力”は戦闘にのみ限定されるものではありません)を武装闘争の理論と一体化させ、“殉教作戦”という名の特攻攻撃(いわゆる自爆テロ)を発明しました。

 殉教作戦が最初に発動されたのは、1983年10月23日のことで、ベイルートのアメリカ海兵隊本部に爆弾を満載したトラックが突入。海兵隊の一日の被害としては、第二次大戦後最大となる241名の死者を出しています。また、同日、フランス駐留軍の本部に対してもトラック爆弾が突入し56名が死亡。さらに、11月4日には、レバノン南部のチールにあったイスラエル占領軍の本部にもトラック爆弾が突入し、50名以上の死者が出るなどの“戦果”を挙げています。このような殉教作戦に加え、ヒズボラはレバノン在住の欧米人の誘拐事件も多数引き起こし、人々を恐怖のどん底に陥れました。

 この結果、国連の平和維持部隊の主力であったアメリカは、レバノン政府を支えてヒズボラを押さえ込もうとしたものの、結局果たせず、1984年前半にレバノンからの全面撤退を余儀なくされています。また、当時はレバノン南部がイスラエル軍によって占領されていましたが、ヒズボラは占領イスラエル軍に対するレジスタンス活動を続け、イスラエル軍をレバノン南部の国境線沿いの“安全保障地帯”にまで撤退させることにも成功しました。

 今回の停戦に関しても、イスラエル軍の撤退という事実をとらえて、ヒズボラ側は自らの勝利を大々的に宣伝し、イランのアフマディネジャド大統領も、「レバノンは一連の戦闘を通して目覚ましい抵抗を示した」「(今回の戦闘により)シオニスト政権の軍事的無敗の神話は崩壊した。ヒズボラの揺るぎない信念と抵抗に感謝する」と述べてヒズボラの勝利を称えています。その意味では、1985年の“勝利”と同じともいえるわけですが、さてさて、イラン郵政はまたもや記念切手を出すんでしょうか?
 
 僕としては、ちょっと気になるところです。
スポンサーサイト

別窓 | イラン | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
<< 切腹前は刀なし | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  切手の中の建設物:靖国神社の大鳥居>>
この記事のコメント
#271 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006-08-16 Wed 17:28 | | #[ 内容変更] | ∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/