内藤陽介 Yosuke NAITO
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 約2週間ぶりに礼拝再開
2017-07-28 Fri 19:02
 エルサレム旧市街にあるユダヤ教・イスラム双方の聖地“神殿の丘(ユダヤ名)/ハラム・シャリーフ(イスラム名)”をめぐり衝突が続いていた問題で、イスラエル警察は、きのう(27日)、今月14日以降新たに設置した全ての警備機器を撤去。これを受けて、約2週間ぶりに敷地内でのムスリムの礼拝が再開されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・聖地の悲劇

 これは、1969年12月にヨルダンが発行した“聖地の悲劇”の切手のうち、瓦礫越しに見える岩のドームが描かれています。

 神殿の丘/ハラム・シャリーフと呼ばれている場所は、もともとは自然の高台で、紀元前10世紀頃、ソロモン王がここにエルサレム神殿(第一神殿)を建造しました。第一神殿は、紀元前587年、バビロニアにより破壊されましたが、紀元前515年に再建されます。これが第二神殿で、紀元前19年頃、神殿はヘロデ王によって大幅に拡張され、周囲は壁に覆われました。この時の神殿の範囲が現在の“神殿の丘”になります。

 その後、紀元後70年、第二神殿はローマ帝国によるエルサレム攻囲戦によって破壊され、ヘロデ王時代の西壁の幅490m、高さ32m(うち、地上に現れている部分は幅57m、高さ19m)が残るのみとなります。これが、今回ご紹介の切手にも取り上げられた“嘆きの壁”です。なお、この壁に対して各国語で“嘆き”の形容詞が付けられているのは、神殿の破壊を嘆き悲しむため、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現したもので、ヘブライ語では“西の壁”と呼ばれています。

 132-135年のバル・コクバの乱(ユダヤ属州でのローマ帝国に対する反乱)の後、ユダヤ教徒は原則としてエルサレムへの立ち入りを禁止され、4世紀以降は1年に1日、例外的に立ち入りを認められるという状況が続いていました。これに対して、638年、いわゆるアラブの大征服の一環として、ムスリムがエルサレムを占領すると、ムスリムの支配下で、ローマ時代以来禁止されていたユダヤ教徒のエルサレムへの立入が認められるようになります。この結果、生活上の権利に一定の制約は設けられたものの、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、アブラハム以来の一神教の系譜に属する「啓典の民」として、この地でムスリムとともに共存していくことになりました。

 ところで、イスラムでは、エルサレムはメッカメディナに次ぐ第3の聖地とされており、691年には、アラブ系のウマイヤ朝によって、ムハンマドの天界飛翔伝説にちなむ聖なる石を包むように、“神殿の丘”の敷地内に岩のドームが建設されます。当時、メッカはウマイヤ朝の支配に異を唱えるイブン・ズバイルの一派により占領されており、ウマイヤ朝はメッカを回復できないという最悪の可能性も考慮して、ドームの建設を計画したといわれています。

 当然のことながら、“神殿の丘”はユダヤ教にとっての聖地でしたが、正統派のユダヤ教においては、世界の終末に救世主が現れて神殿を再建するまで、ユダヤ教徒は神殿跡に入ってはならないとの教義もあります。したがって、神殿の丘の敷地内にイスラムの聖地としてモスクが建造されても、少なくとも世界の終末までは、ユダヤ教徒にとって実質的なダメージはないというロジックが導き出されることになり、岩のドームを聖地とするムスリムと、嘆きの壁を聖地とするユダヤ教徒住み分けが可能となりました。

 その後、十字軍による侵略はあったものの、ラテン王国(キリスト教徒の占領軍が建国)の消滅後は、キリスト教側も聖地の奪還を断念。聖地への自由な通行権の確保と、現地キリスト教徒の保護を主要な関心とするようになり、エルサレムは三宗教共通の聖地(ただし、その具体的な場所は重ならない)として、ムスリムの支配者の下で、各宗教の信徒が共存する状況が20世紀に入るまで続くことになります。

 神殿の丘を含むエルサレムの旧市街は、第一次大戦まではオスマン帝国の支配下に置かれていましたが、その後、英国委任統治下のパレスチナに編入され、第一次中東戦争を経て、1948-67年にはヨルダンの支配下に置かれます。ちなみに、ヨルダン支配下の“神殿の丘/ハラム・シャリーフ”には、イスラエル国籍の保有者の立ち入りは禁止されていました。

 1967年の第三次中東戦争により、イスラエルはエルサレム旧市街を占領し、自国領への編入を宣言しましたが、岩のドームのある“神殿の丘(ハラム・シャリーフ)”は歴史的にワクフが設定されていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、その域内ではユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は原則禁止という変則的な状況となります。

 ワクフというのはイスラムに独特の財産寄進制度で、なんらかの収益を生む私有財産の所有者が、そこから得られる収益を特定の慈善目的に永久に充てるため、その財産の所有権を放棄すること、またはその対象の財産やそれを運営する組織を意味する語です。一度、ワクフとして設定された財産については一切の所有権の異動(売買・譲渡・分割など)が認められません。ちなみに、パレスチナ、特に、ハラム・シャリーフがワクフであるとの根拠は、638年、第二代カリフのウマルが、エルサレムの無血開城に際してギリシャ正教会総主教と結んだ盟約にあるとされています。

 今回ご紹介の切手も、そうした事情を踏まえ、ヨルダン宗教省はムスリムを代表してワクフ財産としての岩のドーム(を含む神殿の丘)を管理する権限を有するという、彼らの主張を表現したものです。

 さて、今回の神殿の丘/ハラム・シャリーフをめぐる衝突は、今月14日、アラブ系イスラエル人(イスラエル国籍を持つパレスチナ人)3人が警官を銃撃した事件が発端になっています。このため、16日、イスラエル側は治安対策を理由に、神殿の丘/ハラム・シャリーフの入口にムスリム専用の金属探知機を設置しました。

 このことが、ハラム・シャリーフに対するヨルダン宗教省の“管理権”を侵害するものとしてムスリムの反発を招き、21日の金曜礼拝にあわせて、エルサレム旧市街やパレスチナ自治区ヨルダン川西岸各地で大規模な抗議行動が発生。イスラエル治安部隊との衝突でパレスチナ人3人が死亡、約400人が負傷したほか、同日夜にはパレスチナ人がユダヤ人入植地に侵入し、3人を刺殺する事件が起きています。また、23日には、ヨルダンのイスラエル大使館敷地内で、イスラエルへの反発が原因とみられる襲撃事件も発生しました。

 このため、25日、イスラエル側は金属探知機を撤去しましたが、パレスチナ側は14日以前の警備態勢に戻すよう求め、聖地敷地外の路上で数千人が抗議の礼拝を続けていました。 
 
 そこで、28日・金曜日の集団礼拝を前に、27日、イスラエル警察がすべての警備機器を撤去すると、ハラム・シャリーフの入口の外にいたパレスチナ人らがアルアクサ・モスクへと殺到。その際、興奮した群衆の一部が「われわれ自身が犠牲になる」などと叫んで警官隊を挑発したり、建造物の屋根によじ登ってパレスチナの旗を振ったりするなど騒擾状態に陥ったため、警官隊は閃光弾などを使って鎮圧し、ロイター通信によると少なくとも113人が負傷しました。イスラエル当局は、きょう(28日)の集団礼拝を前に、治安部隊を増強して厳戒態勢をとっています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。  
       
 * 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。


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 7月30日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。なお、告知のツイートはこちらをご覧ください。

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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