内藤陽介 Yosuke NAITO
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 建軍90年で軍事パレード
2017-07-31 Mon 09:47
 中国人民解放軍(以下、人民解放軍)は、きのう(30日)、8月1日に建軍90周年を迎えるのを記念し、内モンゴル自治区“朱日和合同戦術訓練基地”で大規模な閲兵式と軍事パレードを行いました。8月1日の建軍記念日に合わせて閲兵式・軍事パレードを行うのは、今回が初めてです。というわけで、人民解放軍のパレードを取り上げた切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ・人民解放軍

 これは、2004年にマカオで発行された“中国人民解放軍駐澳門部隊”の切手のうち、人民解放軍の軍事パレードを取り上げた小型シートです。

 もともと、現在の中華人民共和国澳門特別行政区の憲法ともいうべきマカオ基本法では、1999年12月の“返還”後のマカオに人民解放軍が駐留するか否かについての明文規定はありませんでした。じっさい、香港の“返還”を間近に控えた1997年4月27日の時点では、香港澳門弁公室主任(香港・マカオ問題の中国側の実質的な責任者)の魯平は「マカオは狭すぎるから、人民解放軍を駐留させる予定はない」と発言していたほどです。

 しかし、翌1998年9月18日に開催された第3回返還準備委員会全体会合の開会の辞において、準備委員会主任で副総理の銭其琛は、「主権回復のあらわれとして、またマカオ社会の安定維持・経済発展に資するためにマカオに人民解放軍を駐留させる」と表明し、北京政府の方針転換を明らかにしました。

 その背景には、マカオで黒社会(暴力団)同士の抗争が激化し、治安が極端に悪化していたという事情がありました。

 対立抗争の主役となったのは、水房と14Kの2大組織です。

 このうち、14Kは、1940年代の国共内戦の時代に国民党軍の中将であった葛肇煌がつくった反共組織の“十四会”がそのルーツとされています。なお、14Kの14は当時の本部の所在地の住所(広州市西関宝華路14号)からの数字、Kは国民党ないしは葛肇煌の頭文字だともいわれています。

 その後、1949年に国民党が国共内戦に敗れ、台湾に逃れると、組織のメンバーは台湾や香港を拠点に、反中共の非合法工作活動を展開するようになりましたが、次第に、そうした政治工作とは無関係の犯罪行為にも手を染めるようになっていきます。

 1961年、カジノの独占経営権を獲得した何鴻燊は、みずからのカジノ利権の基盤を確立していく過程で、香港の賭博客をマカオに誘致することに力を注ぐとともに、香港の黒社会の力を借りて敵対勢力を排除しました。その見返りとして、何鴻燊は、澳門旅游娯楽公司の下請けとして彼らへのカジノのテーブルの貸出を始めます。この結果、カジノのテーブルの利権をめぐって、黒社会同志の対立・抗争が生じるようになりました。

 ただし、1980年代までのマカオの黒社会の抗争は、あくまでも、彼らの間で処理されており、一般市民が発砲事件の巻き添えになる例はほとんどなく、政府・警察の関係者を買収して敵対組織の会員(組員)を逮捕して相手に打撃を与えるという穏健な手口が用いられることも少なくありませんでした。

 こうした背景の下、1988年、14Kの実力者であった摩頂平が敵対する涉嫌謀を殺害し、マカオから逃れると、摩からカジノのテーブルの使用権を借りていた“孫請け胴元”だった張阿光・阿和・阿強の3兄弟は、カジノの利権を失うことを恐れ、14Kとは敵対組織だったはずの水房の首領、水房頼と密約を結び、カジノでの営業を継続。摩の逃亡後、14K内で急速に台頭していた崩牙駒(“歯欠けの駒”というニックネームで、本名は尹國駒)も張三兄弟と水房の密約を支持したので、いったんは勢力のバランスが保たれます。

 ところが、張3兄弟の弟2人は、経済成長著しい中国本土での利権を獲得しようとして、現地で14Kのメンバーと抗争を起こしてしまいました。この結果、14Kのメンバーでありながら水房ともつながっている張兄弟とその配下をめぐって、両組織が入り乱れての抗争が勃発。さらに、1997年の香港返還を前に、共産中国の支配下では黒社会に対する取り締まりが強化されることを恐れた面々がマカオに流入し始めたことで、対立の図式はさらに複雑化し、武力を用いた構想もいっそう激しくなっていきました。

 結局、一連の抗争を通じて張3兄弟は次第に勢力を失い、水房も凋落。崩牙駒が勢力を急速に拡大していきます。14Kを完全に掌握した崩牙駒は、まさに「邪魔者は消せ」とばかりに、敵対勢力に対しては暴力を行使。その結果、一般市民が巻き添えになるケースが続発し、警察との衝突も増えていきました。マカオの治安は急速に悪化し、当時のわが国の外務省はマカオを危険地域に指定し、渡航自粛勧告を出していたほどです。

 そして、返還を目前に控えた1998年5月、警察司長官のアントニオ・マルケスの車に向かって爆弾が投げ込まれ、長官のマルケスがからくも逃れるという事件が発生。ここにいたり、マカオ警察は崩牙駒と4人の側近を逮捕しました。

 返還後のマカオへの人民解放軍の駐留が公表されたのは、その直後の1998年9月のことで、当時のマカオ市民の中には、人民解放軍の駐留によって治安が回復されることを歓迎する空気も少なくなかったと伝えられています。

 逮捕後の崩牙駒はコロアネ監獄に隔離されて収監されていましたが、高利貸しやマネーロンダリングで蓄えた巨万の富を背景に獄中でも贅沢三昧の生活をしていました。このため、マカオ市民はコロアネ監獄を“山頂別荘”と揶揄していましたが、はたして、彼の留置されていた部屋からは、その後、膨大な数の無線機器やテレビ、携帯電話などが発見され、公安関係者と黒社会の結びつきの深さが明らかになっています。

 結局、後難を恐れて崩牙駒の裁判には証人が十分に集まらなかったため、検察側はメディアに掲載された彼の談話やビデオ映像、録音テープなどを丹念に集めて証拠とし、通常は2ヵ月程度で判決が出るマカオの裁判では異例の1年半という時間をかけて、返還直前の1999年11月23日、マカオ法院(裁判所)から崩牙駒に懲役15年、その他の主要幹部にも実刑判決を引き出すことに成功。ちなみに、同日、マカオに隣接する中国広東省の珠海では、マカオ14Kの幹部だった葉成堅被告ら三人が死刑を宣告され、即日執行されています。

 これによって、崩牙駒の14Kは組織として壊滅的な打撃を受けました。マカオの黒社会の抗争が完全になくなったわけではないにせよ、一般市民を巻き添えにすることを全く躊躇しない崩牙駒らの勢力が抑えられたことで、多くのマカオ市民は安堵したといあれています。

 返還を前に、14Kが封じ込められ、マカオの社会秩序が回復されたのであれば、人民解放軍がマカオに進駐する必要も薄れたわけですが、結局、1999年6月、中国では全人代常務委員会において、駐留軍経費の中央負担、マカオ内部事務不関与等を規定して駐軍法が成立。ポルトガル側への配慮から、1999年11月18日に先遣隊が駐留するものの、本格的な部隊の駐留は、同月20日の“返還”記念式典に出席したポルトガル大統領ならびにマカオ総督がマカオを離れた後、開始されました。まぁ、世界最大のマフィア組織ともいわれる人民解放軍が、地元のローカル黒社会を駆逐して、マカオを新たな縄張りに加えたと考えればわかりやすいのかもしれませんが…。

 なお、“返還”前後のマカオの状況については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * おかげさまで、きのう(30日)放送の拉致被害者全員奪還 ツイキャス、僕の出演回は終了いたしました。いろいろ不手際もあり、また、話がとっちらかって雑駁な内容になってしまいましたが、お聴きいただきました皆様、スタッフの皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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