内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:チリ
2017-09-11 Mon 16:58
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年9月6日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はチリの特集(3回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      チリ・南極領有宣言7周年

 これは、1947年に発行された“南極領有宣言7周年”の記念切手で、チリ領南極の範囲を示す地図が描かれています。

 19世紀初頭、西洋人による南氷洋でのクジラ、アザラシ、ペンギンの狩猟が盛んになる中、1819年2月19日、英国人の探検家ウィリアム・スミスが、南極地域の最も北方に位置するサウス・シェトランド諸島(南緯61度00分-63度37分、西経53度83分―62度83分)を発見し、英領と宣言。同年10月16日、同諸島最大のキング・ジョージ島に上陸しました。

 さらに、1820年1月下旬、ロシア海軍のベリングスハウゼン、英海軍のエドワード・ブランスフィールド、米国人アザラシ漁師のナサニエル・パーマーが数日間のうちに相次いで南極大陸を“発見”します。こうした中で、1818年にスペインから独立したチリ政府は、当初から南氷洋に関心を持っており、英領サウス・シェトランド島へのチリ国民の狩猟航海を支援していました。

 1898-99年、ベルギー人のアドリアン・ド・ジェルラシ率いる南極探検船ベルジカ が南極圏での越冬に成功すると、各国は相次いで南極探検に乗り出し、1901-04年にはロバート・スコット率いる英国探検隊はマクマード湾に基地を設営し、南極内陸部を探査。さらに、1911年12月14日にはロアール・アムンセン率いるノルウェー探検隊が南極点に到達しました。

 一方、チリ政府は1906年頃から南極大陸での領有権確立に向けて隣国アルゼンチンと交渉を開始しましたが、領土を画定する条約の成立には至らなかった。これに対して、1908年、英国が南緯50度以南、西経20-80度の南極半島を含む地域の領有を宣言。南極をめぐり、各国の領有権争いが始まります。

 1939年1月14日、ノルウェーが0度から西経20度までの地域の領有を宣言すると、同19日にはドイツも東経20度から西経10度の領有を宣言する。これに刺激を受けたチリ大統領のペドロ・アギーレは、第二次欧州大戦勃発直後の同年9月7日、南極権益特別委員会を設立して調査を開始し、各国が大戦の混乱で南極に目を向ける余裕を失っていたタイミングを見計らい、1940年11月6日、布告1747号を発してチリ領南極の領有を宣言しました。

 1940年11月6日に領有が宣言されたチリ領南極の範囲は、大航海時代にスペインとポルトガルの勢力範囲を決めたトルデシリャス条約を根拠の一つとしていました。ただし、同条約は、旧スペイン領のアルゼンチンにとっても南極領有の根拠となるため、チリは、サウス・オークニー諸島に対するアルゼンチンの主張を考慮し、西経53度以西については断念しています。

 チリの領有宣言に対しては、1940年11月12日付でアルゼンチンが公式にこれを拒絶し、チリに抗議したほか、1941年2月25日には英国も反対の意向を明らかにしました。

 チリへの対抗策として、1942年1月、アルゼンチンは西経25-68度24分の南極の領有権を主張。さらに、第二次大戦後の1946年9月2日にはその範囲を西経25-74度へと拡大しました。

 このため、チリはチリ領南極における自らの主権を明確にするため、1947年にはグリーンウィッチ島にカピタン・アルトゥロ・プラット基地を、翌1948年には半島部にヘネラル・ベルナルド・オイギンス基地を建設。さらに、大統領のガブリエル・ゴンサレス・ビデラが一国の元首として初めて南極を公式訪問し、領有権を誇示します。

 こうして、南極をめぐるチリとアルゼンチンの関係悪化が懸念されましたが、1948年3月4日、両国は欧州諸国に対抗するという点で一致し、相互協定を結び、西経25-90度にある互いの南極領土を他国から守ることで合意しました。

 一方、非同盟諸国の旗手を自認していたインドは、南極をめぐる国際対立の激化を懸念し、1953年、国連の場で南極の“国際化”を訴え、南極に領有権の歴史を持たない国々の賛同を得ます。これに対して、あくまでもチリ領南極の領有権を主張するチリは、駐インド大使を通じて、南極の“国際化”の提案を取り下げるよう、インド首相のネルーに圧力をかけました。また、1955年、英政府は国際法廷へ訴える前段階として、チリの裁判所にチリ領南極の領有権無効を訴えて提訴したが、門前払いで却下されています。

 結局、1958年に米大統領のアイゼンハワーが南極問題解決のため、国際地球観測年の会議にチリを招いて説得。このため、1959年12月1日、チリもようやく南極条約に調印(条約発効は1961年)し、南極の領土問題は凍結へと向かうことになりました。

 さて、『世界の切手コレクション』9月6日号の「世界の国々」では、チリと南極のかかわりにフォーカスをあて、関連する切手をいろいろご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のチリの次は、6日に発売された9月13日号でのベルギーの特集になります。こちらについては、発行日の13日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 最新作 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 近日発売!★★★ 

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
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この記事のコメント
#2450 これぞ領有主張切手
ご無沙汰しております。

正確な経緯線に正確な経緯度、正確な地図を描いてこその領有主張、これぞ領有主張切手という感じの、非常に良い切手だと思います。

新刊の『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』、購入して読むのを楽しみにしております。
2017-09-16 Sat 22:22 | URL | mapstampfan #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
・mapstampfan
 こちらこそご無沙汰しております。また、お返事差し上げるのが遅くなり申し訳ございません。
 チリが南極の領有権を主張するために発行した切手は、このほかにも歴史文書の文言を引用したものもあったりして、なかなか感心させられますね。
2017-09-20 Wed 20:59 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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