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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ラケルの墓
2017-09-23 Sat 12:56
 きょうは秋のお中日。僕は今年も行きそびれてしまいましたが、お墓参りの日です。というわけで、恒例の“お墓”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      英領パレスチナ・ラケルの墓

 これは、1927年、英委任統治下のパレスチナで発行された普通切手のうち、旧約聖書に登場するヘブライ人の族長、ヤコブの妻、ラケルが埋葬されているとされる墓廟、ラケルの墓を描く10ミリーム切手です。

 『創世記』によれば、イサクの子ヤコブは、双子の兄のエサウを出し抜いて長子の祝福を得たため、兄から命を狙われ、ハランに住む伯父ラバンのもとに身を寄せます。そこでラバンの娘、ラケルを見初めたヤコブに対して、ラバンは「七年働けば結婚を許す」と申し渡し、ヤコブもこれを信じて働きましたが、結婚式を終えて花嫁の顔を見ると、ラケルではなく、姉のレアでした。ヤコブは怒りましたが、ラバンの求めでさらに七年働き、ようやくラケルを娶ることができました。

 ところで、ヤコブとレアの間には子が生まれたものの、ラケルとの間にはなかなか子ができなかったため、ラケルは自らの女奴隷、ビルハにヤコブの子を産ませて自分の子とします。ただし、後にラケル自身にも待望の子供(ヨセフ)が生まれました。

 その後、エサウと和解したヤコブは、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かいますが、その途中でラケルはベンヤミンを産んだものの、難産のために命を落とし、道の傍らに葬られたとされています。この時作られたのが、最初のラケルの墓です。

 ラケルの墓はユダヤ教の聖地の一つとして古代からユダヤ教徒の巡礼場所になっていましたが、後に、現地のキリスト教徒やムスリムからも神聖な場所として尊重されるようになりました。切手に描かれているドーム型の墓廟はオスマン帝国時代に建立されたもので、参詣した女性は子宝に恵まれるとの伝承があります。

 なお、1927年に英委任統治下のパレスチナで発行された普通切手は、パレスチナの代表的な風景として、今回ご紹介のラケルの墓に加え、岩のドームダヴィデの塔、ティベリアスのモスクが取り上げられています。それらについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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