内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガザのラムセス2世
2006-08-27 Sun 03:14
 カイロの駅前広場の名物として知られるラムセス2世(古代エジプトの王)像のお引越しというニュースをテレビで見ました。なんでも、カイロの中心街に置かれているため、排ガスや地下鉄の振動によって像の劣化が進んでいることもあって、2011年にギザに開館予定の“大エジプト博物館”の建設予定地に移されるのだそうです。

 というわけで、こんなモノを持ってきて見ました。(画像はクリックで拡大されます)

ガザ・ラムセス2世

 このカバー(封筒)は、1958年7月1日、エジプト統治下のガザ(パレスチナ)からカイロ宛に差し出されたもので、ラムセス2世を描くエジプト本国の切手に“PALESTINE”と加刷された10ミリーム切手が貼られています。なお、カバー左側の円形の印は、エジプト郵政の検閲印です。

 1948年に始まった第一次中東戦争は、イギリス委任統治領であったパレスチナからイギリスが撤退した後、前年12月、国連で採択されたパレスチナ分割決議を既成事実化してユダヤ国家の樹立をめざすシオニストと、それを阻止しようとするアラブ側との戦いでした。しかし、アラブ諸国はイスラエル国家の建国を阻止できなかったばかりか、エジプトとトランスヨルダンはどさくさに紛れて旧英領パレスチナの一部を占領し、自国の領土に編入。国連の分割決議では樹立されることになっていたパレスチナのアラブ国家は誕生しないままに終わってしまいました。

 戦争の結果、旧英領パレスチナのうち、ガザ地区を自国領に編入したエジプトは、この地で使うために、本国切手に英語とアラビア語で“パレスチナ”と加刷した切手を発行します。今回ご紹介している切手もその種の1枚で、1957年に発行されたラムセス2世の切手を、1958年のエジプト・シリア合邦後、額面・刷色はそのままに、国名表示を“UAR”とあらためて発行されたものです。

 ところで、現在のエジプトでは、何か大きなニュースがあると、すぐに「イスラエルの陰謀ではないか?」という“陰謀説”が大衆の間で広がるのですが、今回のラムセス2世像の移転も例外ではありません。

 すなわち、ラムセス2世は預言者モーゼが奴隷状態のユダヤ人を率いてエジプトを脱出した「出エジプト」の時代の王との説が一部にあることから、「カイロ中心部からの像の撤去はイスラエル政府が仕組んだもの」という噂がインターネット上で蔓延。さらに、「イスラエルの意をくんだ日本は、像の移設を円借款の条件にしている」との説明までまことしやかに付け加えられているそうです。

 もちろん、エジプト文化省は“陰謀説”を完全に否定しているのですが、それにしても、思いもよらぬかたちで日本とイスラエルの“闇のつながり”が噂になるなんて、なんだかなぁ…という気分です。
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