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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イエメン前大統領、死亡
2017-12-05 Tue 01:22
 内戦状態にあるイエメンのザイド派(シーア派の一派)武装組織“フーシ”は、きのう(4日)、アリー・アブドゥッラー・サーリフ(サレハ、サーレハとも)前大統領を殺害したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イエメン・サーリフモスク

 これは、2008年、当時の大統領であったサーリフの名を冠した“サーリフ・モスク”の完成を記念して発行された切手です。

 アリー・アブドゥッラー・サーリフは、1942年、イエメン王国のアフマル市でザイド派ムスリムの家に生まれました。

 1958年、イエメン王国軍に入隊。1960年には王立士官学校で学びました。1962年の革命に際しては軍事クーデターに賛同。革命後は、共和国政府と王党派の亡命政府による内戦が始まると各地を転戦して昇進を重ね、1977年、タイズ州の軍司令官に任命されました。

 1978年6月24日、ガシュミー大統領が暗殺されると臨時召集された最高行政委員会の一員として事態収拾にあたるとともに、幕僚会議議長代理として軍参謀本部を統制したうえで、7月17日、大統領に就任。さらに、国家元首として陸軍総司令官および陸軍参謀総長を兼任しました。

 大統領に就任したサーリフは、反対派将校に対する大々的な粛清を行うとともに、1982年8月30日、自らを党首として翼賛連合“国民全体会議”を結成し、同党により2期目を共和国議会に承認させます。以後、イエメンの議会は国民全体会議の一党独裁状態となり、党首であるサーレハの独裁体制が確立しました。

 1990年5月22日、中東やインド洋におけるソ連の拠点となっていたイエメン人民民主共和国(南イエメン)がソ連崩壊で経済的に行き詰まり、イエメン・アラブ共和国に吸収される形で、現在のイエメン共和国が誕生すると、サーリフは初代イエメン大統領に就任。以後、2012年に退陣するまで、イエメンの独裁者として君臨し続けました。

 この間、イエメン国内ではサーリフの個人崇拝・神格化が進められ、その一環として、2008年には今回ご紹介の切手に取り上げられたサーリフ・モスクも建立されました。

 サーリフ・モスクは、イエメンの伝統的な建築様式を取り入れ、6本のミナレット(尖塔)のうち4本は160mの高さがあります。内部は3階建てでメインの礼拝スペースは4万人が収容可能です。6000万ドルもの建設費用はイエメンの経済力からすると、明らかに分不相応なものだったため、サーリフ独裁の象徴として欧米からは批難の対象となりました。なお、今回、サーリフが殺害されたことで、今後、モスクの名前がどうなるかは、現時点では不明です。

 2011年、チュニジアでのジャスミン革命を発端として、“アラブの春”と称される民主化運動がアラブ世界に拡大すると、イエメンでもサーリフの退陣を求める反政府デモが頻発。当初、サーレハは反政府デモの鎮圧を試みたものの失敗し、2月2日には次期大統領選挙への不出馬を表明しました。

 しかし、サーリフ退陣を求める国内世論は収まらず、5月18日、サーリフは、いったん、1ヶ月以内に退陣すると表明。ところが、同月23日には一転して反対派との全ての和平交渉を破棄すると宣言し、反対派への弾圧を再開しました。このため、6月3日、反政府軍が大統領宮殿を砲撃し、重傷を負ったサーリフは治療のためサウジアラビアの陸軍病院へ移送され、結果的に国外へ一時亡命するかたちとなりました。

 2011年9月23日、サーリフはイエメンに帰国し、大統領に復帰したうえで、11月23日、副大統領のアブド・ラッボ・マンスール・ハーディーに30日以内の権限移譲などが盛り込まれた調停案に署名。2012年1月21日にサーリフの訴追免除を可能にする法律が成立すると、治療目的で渡米します。そして、2月21日に行われた大統領選挙でハーディーが当選したことで、サーリフ政権は正式に終焉を迎えました。

 ただし、ハーディーがサーリフの腹心として政権運営に深く関わり続けたことに加え、サーリフは議会内の最大勢力である国民全体会議の党首の座にとどまり続けたため、大統領退陣後もサーリフは隠然たる勢力を維持しつづけます。そして、大統領在任中には弾圧していた反政府勢力のフーシと連携して、ハーディー大統領派と事実上の内戦に突入。2015年3月にはサウジアラビアなどが軍事介入を開始し、これまでに民間人を含む1万人以上が死亡したほか、今年に入ってからは、コレラの感染も深刻化していました。

 ところが、2017年12月2日、サーリフは、突如、フーシと敵対するサウジアラビア主導の連合軍と和平協議を行う用意があることを表明し、フーシとの同盟関係が崩れたと発表。これを受けて、翌3日にはサーリフの支持者らが、フーシの攻撃に備えて、首都サヌア中心部の複数の道路を閉鎖し、両者の衝突により、首都全域と国際空港で約60人が死亡する事態となりました。

 きのう(4日)、フーシが行ったサーリフ殺害の発表はこうした状況の下でなされたもので、詳細は不明ですが、ネット上では、すでに毛布にくるまれたサーリフの遺体の画像が出回っており、サーリフが死亡したこと自体はたしかなようです。なお、フーシは、同日、「アラブ首長国連邦で建設中のバラカ原発に向けミサイルを発射した」とも発表していますが、こちらについては、UAE当局はミサイル発射は事実ではないと否定しています。


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