内藤陽介 Yosuke NAITO
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 古都ブハラ
2006-08-31 Thu 01:12
 カザフスタンとウズベキスタンを歴訪中の小泉首相は今日(31日)帰国だそうです。昨日(30日)のタシュケント(ウズベキスタン)での日本人抑留者記念塔への首相の献花にちなんで、この地に抑留されていた日本人のカバーでも持ってこれたらよかったのですが、あいにく、そういうものは手元にないので、代わりに、ウズベキスタンがらみということでこんな葉書を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

ブハラの葉書

 この葉書は、1913年12月、帝政ロシアの支配下にあったブハラから差し出された葉書です。消印の表示はちょっと不鮮明ですが、局名はキリル文字で“CARDZUI BUKHARA”となっています。

 帝政ロシアが郵便料金前納の証紙として切手の発行を開始し、曲がりなりにも近代郵便制度をスタートさせたのは1858年1月1日のことでしたが、広大な領土の末端にまで郵便網が浸透するまでには、相当の時日が必要でした。

 たとえば、帝政ロシアの保護国としてトルキスタン総督府(1867年創設)の下に置かれていたブハラ・アミール国とヒヴァ・ハン国(これらの国の領域は、現在のウズベキスタンともかぶっています)では、1870年代、アムダリア川を利用した汽船郵便が制度として開始されたものの、郵便物の残存量から推測するに、この制度が住民の間に定着したのは、ブハラ・アミール国で1880年代以降、ヒヴァ・ハン国で1890年代以降のことと考えられています。

 なお、この両国では、1917年の革命まで、基本的にロシア本国の切手がそのまま用いられ、キリル文字の消印が利用されていました。今回ご紹介している葉書もその一例です。
 
 現在、ウズベキスタンの領土になっているブハラ、サマルカンド、フェルガナ、コーカンドなどは、かつてのシルクロードの古都として、教科書でもおなじみの名前です。当然のことながら、古代からの交通の要衝として、駅站制度のカバーのようなものが沢山残っていても良さそうなものなのですが、現実には、19世紀のカバーでさえも、なかなか実物を拝む機会は少ないというのが実情です。(20世紀以降になると、そこそこ、モノはありますが…)

 まぁ、今回ご紹介している葉書も、あんまり消印の状態が良くないので気に入らないといえば気に入らないのですが、話のタネに1~2点持っていればいいということであれば、これでも我慢しないといけないというところでしょうか。
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この記事のコメント
#295
このハガキ、流麗な筆跡からして差出人は知識階層の人と思われますが、何語で書いてあるのでしょう?必ずしもロシア語ではないのでは?という感じがしますが。私の語学力では「英語ではない。ドイツ語でもなさそう」ことしか分かりません。

ところで、昔は西洋の人はペンでハガキや封書の宛名を書いていたわけですね。耐水性がある「日本の墨」と違い、濡れたら字が全て流れて配達不能になりそうですが、郵便当局はよほど「水濡れ」に神経を使っていたのでしょうか。今はボールペンと言う便利な筆記具がありますが。
2006-08-31 Thu 11:53 | URL | おやじ #kcN02UG2[ 内容変更] | ∧top | under∨
 おやじ様
 いつもコメントありがとうございます。(亀レスですみません)
 葉書の言語はおそらくロシア語だろうと思います。なお、この時期のブハラ差出の葉書は、今回の葉書の差出人・受取人と同じ組み合わせのモノがいくつか見られます。
 インクの件ですが、言われてみると、水濡れのモノってのは案外少ないですね。どうしてなんでしょう。不思議な感じがします。
2006-09-08 Fri 08:35 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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