内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の切手:インドネシア
2018-01-29 Mon 10:33
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年1月24日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドネシア(3回目)を取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      軍事郵便はがき(蘭印・パレンバン)

 これは、日本占領下のパレンバン州政庁に勤務していたスタッフが、兵庫県宛に差し出した“特別軍事航空はがき”の往片です。差出人のアドレスとして「スマトラ南パレンバン州」との記載がありますが、当時の州名は“パレンバン州”ですので、文意としては、スマトラ南で切れると理解してください。

 特別軍事航空はがきは、先の大戦中、南方のセンチ=内地(日本本土)間の私用軍事郵便を迅速に配達するため、陸軍省と海軍省が製造した往復はがきで、往信・返信ともに軍用機によって輸送されました。料金は無料で、軍人・軍属に限り、月2枚ずつ支給されています。

 第二次大戦以前のオランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)全体の石油産業は、バターフセ石油会社(BPM。ロイヤル・ダッチ・シェル系)、スタンダード・ヴァキューム石油会社(スタンバック)、オランダ太平洋石油会社(NPPM。現カルテックス)の3社体制で、1939年の総生産量は800万トンでしたが、そのうち、スマトラ島南部パレンバン周辺地区での産出量は300万トンで、同じくスマトラの北アチェ地区やボルネオのサンガサンガ地区、ジャワのチェプー地区の100万トンを大きく上回っていました。ちなみに、当時のわが国の石油の年所要量は約500万トンです。

 戦前の大日本帝国は石油資源の8割を米国に依存していたため、輸入先の多角化は重要課題でした。このため、距離的にも近く、豊富な石油資源を持つ蘭印との関係強化が必要とされ、1934年には長尾春一大使を主席とする代表団をバタヴィアに派遣し、両国の友好親善の促進が図られています。

 しかし、いわゆる日中戦争(支那事変)が始まった1937年以降、石油の需要は増大したにもかかわらず、蘭印からの石油の輸入量は約87万トン(1937年)→約67万トン(1938年)→約57万トン(1939年)と減少しました。

 1939年9月1日に第二次欧州大戦が勃発すると、わが国は欧州の戦火がオランダに波及しないことを切望することをオランダに伝え、当初はオランダも対独戦争は回避できるとの見通しを示していました。

 ところが、1940年5月10日、ドイツはオランダに侵攻し、全土を占領。同月13日にはオランダ女王と政府はロンドンに亡命します。

 事態の進展を受けて、5月11日、日本政府は各国に対して蘭印の現状維持を申し入れるとともに、5月18日、オランダに対して、石油100万トン、ボーキサイト20万トン等の対日輸出の確約を求めましたが、オランダ亡命政府は明確な回答をしませんでした。

 日蘭交渉が停滞しているうちに、1940年9月、日本軍は北部仏印進駐を行い、日独伊三国軍事同盟を調印。米国は日本に対する態度を硬化させ、屑鉄の対日輸出を禁止すると、オランダも米英への傾斜を強め、米英中蘭の“ABCD包囲網”が形成されていきます。

 その後、米国による対日資産の凍結(1941年6月)、石油の対日禁輸措置(同8月)などで追い詰められた日本は、蘭印、特にパレンバンの石油と飛行場を確保するための南方作戦を立案。1941年12月、米英蘭に宣戦布告し、いわゆる太平洋戦争が勃発しました。

 1942年2月14日、日本陸軍の第1挺団は、パレンバンの油田・製油所と飛行場に対して落下傘で降下。翌15日午後には、第2悌団がパレンバン市街地南側の湿地に降下し、パレンバン市全域を占領し、肝心の油田と製油所もほぼ無傷で確保します。これが、いわゆる“空の神兵”で、戦時歌謡や渡辺義美監督の映画の題名になりました。

 郵便に関しては、2月14日の奇襲攻撃を受けてパレンバン市内の業務が一時停止されましたが、この間、略奪行為が横行し、郵便局でも額面総計20万ギルダーもの切手が盗難に遭ったといわれています。

 このため、日本の占領当局は3月23日付でパレンバン中央郵便局のI・P・レンコン局長に、略奪された切手と区別できるよう、再開後に販売する切手には加刷を施すように」と通達。これを受けて、翌24日から郵便業務が再開され、4月以降、州内(および隣接するベンクーレン州のケパヒアン局とジャンビ州のサルラングン局)では局長のイニシャル“IPL”などを加刷した切手が順次発行されました。

 さて、『世界の切手コレクション』1月24日号の「世界の国々」では、パレンバンにフォーカスをあて、戦前のパレンバン発着のエアメールや、日本の戦争賠償としてインドネシア政府に供与されたアンペラ橋インドネシア陸軍司令官アフマド・ヤニ2011年の東南アジア競技大会の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。また、併せて拙著『蘭印戦跡紀行』もご覧いただけると幸いです。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は1月31日発売の2月7日号でのペルー(と一部セントルシア)の特集になります。こちらについては、2月7日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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