内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 辻一弘氏、オスカー受賞
2018-03-06 Tue 12:11
 第90回アカデミー賞授賞式が現地時間3月4日(日本時間3月5日)、米ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催され、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で主演ゲイリー・オールドマンの特殊メイクを担当した日本人アーティストの辻一弘が、3度目10年ぶりのノミネートにしてメイク・ヘアスタイリング賞を初受賞しました。日本人が同部門を受賞するのはこれが初めてです。というわけで、きょうはチャーチル切手の中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・チャーチルC欠け

 これは、1966年1月、英領時代の香港で発行された“チャーチル追悼”の10セント切手の¢の縦棒が突き抜けたノーマルなもの(上)と、突き抜けていないもの(下・下に拡大画像を貼っておきます)のペアです。“チャーチル追悼”は印面変種のヴァラエティがいろいろ楽しめる切手ですが、縦棒が突き抜けていない“¢”は、プレート1Aと呼ばれるシートの最下段左から4枚目の位置に見られる定常変種です。

      香港・チャーチルC欠け(部分)

 さて、第二次大戦中、香港は日本に占領されていましたが、戦後、英領香港の復活に大きな役割を果たしたのがチャーチルでした。

 連合諸国の間で“戦後”についての具体的な議論が本格的に始まるのは、1943年秋のことですが、ルーズベルトが考えていた戦後の東アジア政策の基本構想は、旧帝国主義勢力をアジアから排除し、門戸開放原則を実現してアメリカの経済的影響力を高めていこうとするものでした。その目玉として、彼は、香港の主権を中国に返還させ、その上で香港を国際自由港にすることを案が得ていました。

 1943年11月に行われた米英中のカイロ会談では、中国は正式に四大国の一つとされ“日本によって奪われた全ての地域”が中国に返還されることが約束されましたが、蒋介石との2人だけの会談で、ルーズベルトは、満洲・台湾・澎湖島に加え、旅順・大連の返還を約束。さらに、ルーズベルトは香港が中国に返還されることを希望し、蒋介石は返還後の香港を自由港にすることに同意しています。

 カイロ会談の内容は、続いて開催された米英ソのテヘラン会談でスターリンが原則承認。ただし、この会談では、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦の方針が確認されたが、スターリンはその代償として極東に不凍港を獲得したいとの希望を示唆しました。スターリンが要求した“代償”の中身をにらみつつ、チャーチルは、戦後の英領香港復活に向けて布石を打っていきます。戦後、東欧問題をめぐって英ソは激しく対立しますが、中国問題に関しては、英国はソ連を利用することで米国を牽制し、蒋介石をねじ伏せようとしたのです。

 1945年2月、米英ソ三国首脳がクリミア半島のヤルタで会談。この会談では、表向き、ドイツ降伏後の戦後処理問題と国際連合の創設が決定されたが、その裏では、米ソの間で秘密協定が結ばれ、ドイツ降伏後2-3ヵ月後にソ連が対日参戦する代わりに、ソ連に対しては千島・樺太の領有、不凍港としての大連の優先的使用権と海軍基地としての旅順の租借権などが認められています。

 このうち、香港問題と密接にリンクしていたのが大連問題でした。

 すなわち、ルーズベルトは「中国人に代わって発言することはできない」としながらも、基本的にはスターリンの要求を受け入れる姿勢を示し、香港との関係から「国際委員会のある形態の下で大連を自由港とする」ことが望ましいと応じたのです。

 チャーチルは秘密協定を決めた会談に参加できませんでしたが、秘密協定が、米国の基本方針である“アジアからの植民地の一掃”と矛盾することを瞬時に見抜き、香港維持を主張する際の根拠としてこれを最大限に活用しました。

 結局、1945年4月にルーズベルトが任期半ばで亡くなると、後任のトルーマンは香港問題には関心を示さず、問題の解決を当事者である英中両国に委ねます。こうして、中国は香港返還論の後ろ盾を失い、英領香港の復活に向けて事態は大きく前進します。

 もっとも、ヤルタ協定はあくまでも秘密協定でしたから、日本軍の降伏に際して中国が力ずくで香港を回収してしまえば、状況が一変する可能性は少なからず残されていました。

 このため、1945年8月16日、重慶政府は香港の日本軍の降伏を受け入れるとの声明を発表。これに先立つ8月11日、米国は中国に対して、北緯16度線以北の“中国戦区”内の日本軍は中国当局に降伏するようにとの命令を連合国軍最高司令官の名義で出すことを約束していました。ただし、中国は「香港における日本軍の降伏受理は中国戦区の統帥部が行うが、中国政府は香港に対してなんら領土的野心を持っておらず、香港の問題は最終的に外交交渉を通じて解決されるべきである」とイギリスに伝えており、新界の返還問題はとりあえず棚上げにする姿勢を示しています。

 すでに、終戦とともに中国大陸の各地では、日本軍の降伏受理をめぐって、国民党と共産党が激しい主導権争いを演じており、蒋介石としては、とりあえず香港で日本軍の降伏受理を行って、共産党との主導権争いを有利に進めたいとの思惑がありました。来るべき共産党との内戦に備え、共産党が旧日本軍を接収した地域で占領軍として居座るということだけは、何としても阻止したいというのが、彼の本音です。

 一方、蒋介石が共産党による占領の既成事実化を恐れたのと同様に、英国も蒋介石の軍隊が香港に駐留し、それを既成事実として香港に居座ることを恐れていました。すでに1943年の時点で、英国は香港計画局を設立し、戦後の香港統治再開に向けて動き出していましたが、1945年5月には、中国軍の香港進駐を阻止するために香港計画局の軍備化に着手します。

 そして、1945年8月16日、赤柱の収容所で日本の降伏が発表された際、戦前の行政長官だったフランクリン・ギムソンは自分が香港の臨時総督であると宣言。これ受けて、8月20日、英政府は、香港での日本軍の降伏受理は英国が行うことを表明し、中国側との対立姿勢を明らかにしました。

 結局、両者の対立は、中国政府が香港占領のために軍隊を派遣しないという前提の下、英国が投降接受の委託を中国側から受けるという形式を取ることで妥協が成立。8月29日に英軍が進駐し、9月1日、海軍司令官のハートコートがラジオを通じて臨時香港軍政庁の成立を宣言し、英領香港が復活します。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は8日!★★

 3月8日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第17回(最終回)が放送予定です。今回は、平昌パラリンピックの開幕前日の放送ということで、パラリンピックの切手についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

  
★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。
スポンサーサイト

別窓 | 香港:1945~1997 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< 米空母レキシントン発見 | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  ウゴ・チャヴェス没後5年>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/