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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ハラブジャ事件30年
2018-03-16 Fri 16:39
 イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日に クルド人自治区のハラブジャに対してイラクが化学兵器を使用し、約3000人(諸説あります)を殺害したとされる“ハラブジャ事件”が起きてから、今日で30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ハラブジャ事件

 これは、1988年4月26日、ハラブジャ事件を非難するためにイランが発行した切手で、イラクの首都バグダードとハラブジャの位置関係を背景に、イラクの化学兵器に斃れるクルド人が描かれています。

 イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年にクルド人自治区が設置されていました。しかし、イラン・イラク戦争が勃発し、戦場が次第にイラク不利となっていく中で、クルド人自治区ではイラクからの分離独立運動が高揚。これに対して、クルド系住民がイランに内通していると考えたサッダーム政権は、クルド人自治区のイラン国境に近い地域を中心に“アンファル作戦”を発動し、マスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用して多くのクルド系住民を殺害しました。

 今回ご紹介の切手の題材となったハラブジャ事件はその最大のもので、事件直後、現地に入ったイラン軍が“異常”を察知し、世界のジャーナリストを現場に招いたことで、その惨状が世界に知られるようになりました。今回ご紹介の切手は、この流れに沿って、イラクに対する国際的な非難の世論を喚起する一手段として発行されたものです。

 これに対して、イラクのサッダーム政権は「事件はイランの仕業」と主張して関与を否定。さらに、国際社会の大勢は、イランからのイスラム革命の拡大を懸念してイラクを支持していたため、当時、ハラブジャ事件をほぼ黙殺していました。

 なお、サッダーム政権下で、ハラブジャ事件を含むクルド人弾圧の中心的役割を担っていたアリー・ハサン・マジードは、化学兵器を使用したことから、欧米メディアでは“ケミカル・アリー”とも呼ばれていましたが、サッダーム政権崩壊後の2003年8月21日、サーマッラーで米軍に拘束された後、イラク特別法廷で4回の死刑判決を受け、2010年1月25日、絞首刑に処せられました。

 * 昨日(15日)NHKラジオ第一放送で放送の「ごごラジ・マニア的電話座談会」は無事に終了しました。リスナーの方々ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。なお、15日の放送につきましては、3月22日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 
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